普天間地権者が所有地を誇大申告? 主張通りなら「基地は海岸に飛び出る」面積 〈沖縄県民も知らない「普天間基地」裏面史(2)〉
沖縄在住のジャーナリスト・惠隆之介氏がレポートする普天間基地と住民の知られざる歴史。前回は、最悪の経済環境下にあった普天間の住民が、沖縄戦をきっかけに、地代と営農収入の“二重取り”という生活手段を得たことを紹介した。その後、朝鮮戦争の勃発と米海兵隊の沖縄移転を受け、米国民政府(琉球政府の上部組織)が、軍用地の一括買い上げを発表。戦前の地価を反映した地代を算出し、1954年から接収が始まったが……。
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一方、琉球立法院(現在の沖縄県議会)は猛反発。いわゆる「四原則貫徹」を可決する。それが、(1)一括払い反対、(2)地代引き上げ、(3)被害賠償、(4)新規接収反対というものだ。この運動は“島ぐるみ闘争”として伝えられているが、反対に本島北部の久志(くし)村辺野古(現在名護市辺野古)や金武(きん)村(当時)では、むしろ基地誘致運動が盛んになっていた。それほど、基地のもたらす経済効果は大きかったのだ。
58年8月、ブース高等弁務官は地代の一括払いの取り止めと賃借方式への変更を発表。しかも借地料を当初提示価格の6倍に引き上げ、毎年払いとした。この手法は、沖縄経済に「ドルの雨が降る」と形容されるほどの活況をもたらすことになる。
これ以降、軍用地の地代はウナギ登りに上昇する。72年、沖縄が日本に返還された際には接収当時の6倍、さらには92年時点で復帰時の6倍となった。現在も年平均5%前後で上昇を続けている。実需とはかけ離れ「政治的」に作られた価格だが、軍用地にはさらにフィクションがあることをご存じだろうか。
■軍用地主へ
宜野湾村は、激しい戦火によって土地台帳が焼失している。そのため、所有権の確認は自己申告に頼るしかなかった。借金の抵当に入っていた農地も登記簿が焼失し、うやむやになってしまう。
所有地の特定作業は46年2月から、約6年を費やして行われ、琉球政府から「土地所有権証明書」が発行された。ところが、小作農だった者の申告や所有地を誇大に主張する者など、不正申告者が続出、事務受付を代行した琉球政府関係者を辟易させていた。借金に汲々としていた農家が、いつのまにか無借金になり、毎年地代が入ってくる軍用地主になってしまったのだ。
現在、普天間基地には地権者3874人に対し、地代71億7600万円が日本政府から毎年支払われている。一人平均約225万円という計算だ=2013年度=(一坪反戦地主を省く)。
ただし、防衛省の沖縄防衛局に、所有者ごとの所有面積と個別に支払われている地代を尋ねても「ノーコメント」と明らかにしない。プライバシーを守るためというのが理由だが、もう一つ、公にはできない事情がある。
■基地が海岸にまで突き出る
以前、私が取材した沖縄防衛局の担当者は、名前を明かさない条件で次のように証言している。
「地権者たちが主張する面積が大きすぎて実際の面積と違いすぎるのです。謄本が焼失しており、確認の手段がないためですが、そうかといって基地内に入って測量することもできない。苦肉の策として防衛局は旧里道まで潰し、所有者の主張する面積に近づけようとしました。しかし、結局、無理だった」
地主の主張通りの面積を合わせると途方もない広さになってしまうというわけだ。一説には、高台の普天間基地が海岸にまで突き出てしまうなどとも言われている。日本国民は、ありもしない土地のために税金を払わされ続けているのだろうか。
現在、政府は宜野湾市に対して普天間基地の跡地にディズニーランドの誘致を打診している。
「地代を失ってしまう地主対策もありますが、もし、このまま軍用地返還となってしまえば、地権者たちの主張する面積が合わず収拾がつかなくなってしまうからです。仮にやるとすれば“大幅減歩”という原始的手法を講じるしかありません。これは、返還の際、行政が仲裁する形で地権者の主張分を大幅削減という手法をとって地籍を判定するのです」(同担当者)
実際、同様のことは、泡瀬(あわせ)地区の米軍施設返還の際にも起きている。この時も地権者たちの主張が折り合わず地籍が確定するまで数年を要したものだ。
「特別読物 沖縄県民も知らない『普天間基地』銃口と金の裏面史――惠隆之介(ジャーナリスト)」より
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