【独占手記】「大相撲野球賭博事件」首謀者が激白! 全ては野球賭博の常習大関「豪栄道」の負け金400万円から始まった!――古市満朝

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「今度は俺の反撃の番」――。5年ぶりに娑婆に戻った「大相撲野球賭博事件」の首謀者、古市満朝(みつとも)氏(43)の口から漏れたのは、何とも不穏なセリフ。そして、角界を揺るがしたあの事件が、大関「豪栄道」の多額の負け金から始まったという、知られざる真相であった。

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 俺の気持ちとしては、5年前に警察に出頭してから先日刑務所を出るまで、そしてそれから今に至るまで、時間が止まっている、と思っているんです。世の中では、あの事件はもう終わったものという認識でしょうが、俺の中では事件は一切解決していない。

 やっと刑務所から出られた、自由になれた。ほんなら、俺のせなあかんことがあるはずや、と。それは、あの事件の真実を明らかにすることや、と。

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 そう語るのは、古市満朝氏。元力士で、大相撲野球賭博事件の「首謀者」として世の中を大いに騒がせた古市氏は、2010年6月24日に警察に出頭。懲役を終え、新潟刑務所を出所したのは15年11月3日である。

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 朝9時前に新潟刑務所を出所しました。見送りも迎えもなし。「また戻ってきてしまうから、(刑務所を)振り向くな」とよく言いますが、俺は振り向きましたね。やっぱり、3年もお世話になったところですから、ありがとうございました、という気持ちで。

 格好は、黒のジーンズに黒のタートルネックのロングTシャツに黒の上着。小雨が降っていてね、寒かったですよ。荷物は、ショルダーバッグ1個とボストンバッグ1個。あとは宅配便で送りました。

 刑務所の門を出て、10分くらい歩いてコンビニまで行き、1万3000円分くらい買いました。物を自分で選んで買えるという喜び、解放感。もう、自分の考えで行動できるようになったんや、と。あと、コンビニの前でタバコを吸ったんですが、すぐに気分が悪くなってしまった。

 で、その前のバス停からバスに乗って新潟駅まで行った。でも、乗車する時に整理券を取るのを忘れてしまって。降りる時に運転手さんに、自分がどこから乗ったか言わなあかんかった。戸惑いがすごかったですね。世の中の全てに。

 新潟駅の定食屋で900円の唐揚げ定食を食べたんですが、やっぱり気分が悪くなってしまって。上越新幹線で東京に向かっている間も気分が悪くて、東京駅で東海道新幹線に乗り換えてからはさらに体調が悪くなってしまった。大阪に着いたのは夕方くらいやったと思う。それから電車に乗って地元の交野(かたの)市まで戻りました。

 帰ってきたんやな、というのはありましたよ。大阪に着いて、見慣れた街、梅田とかを見た時に、俺はもう刑務所を出たんや、と。やっぱり自分がよう遊んだところやしね。ただ、俺が知っているのと変わってしまった風景を見た時には、俺だけ時間が止まったままやな、と思いました。

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 古市氏が問われたのは、当時、現役の大関だった琴光喜に対する恐喝およよび恐喝未遂。12年9月、懲役4年6月の実刑判決が確定した。

 この事件が発覚するきっかけとなったのは、10年5月に本誌(「週刊新潮」)に掲載された「大関『琴光喜』が『口止め料1億円』と脅された!」というタイトルの記事である。以降、現役力士の賭博への関与が次々と発覚、日本相撲協会は揺れに揺れた。協会は野球賭博常習者だった琴光喜、元関脇の貴闘力(大嶽親方)に解雇処分を下し、他にも、賭博に関与した力士20人以上がけん責処分などとなった。また、野球賭博の仲介者を務めた古市氏の弟、阿武松部屋所属の床山「床池」も解雇された。

 野球賭博の胴元は複数存在したが、その内の1人、阿武松部屋に所属していた元力士の「梓弓」は、賭博開帳図利幇助の罪で懲役6月執行猶予3年の判決を下された。

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