宮内庁記者たちが胸騒ぎを覚えて……老いを告白された「天皇陛下」絶句15秒間の異変
「声のトーンが急に…」
一方で、会見を取材した別の宮内庁担当記者は、
「沈黙の後にお言葉を再開された陛下は、ご自身も出席なさった15年6月の観音崎(神奈川県横須賀市)の追悼式について話されたのですが……」
と前置きしつつ、こう感想を明かす。
「この話題についてお話をなさっている間、陛下の声のトーンが急に変わった。私には、お言葉に詰まられているのではないかとさえ感じられたほどです。この追悼式で陛下は、先の大戦で軍に徴用され、米軍の爆撃などで亡くなった、民間の船員ら6万3000人が祀(まつ)られた『戦没船員の碑』に供花されました。その時のことが思い出されたのか、犠牲になった人たちに思いを馳せ、胸が詰まり、必死に感情を押しとどめていたため、絶句し、声が震えてしまわれたように映りました」
いずれにせよ、沈黙に続く声の「変調」によって、少なからぬ記者の脳裏に「82歳」という天皇陛下のご年齢が過(よぎ)ったのである。
「会見の冒頭で、自然災害の話に触れられた陛下は、その7カ月前に噴火した口永良部島の話題に言及されました。その際、『口永良部島の“にいだけ”が噴火して……』と仰ったのです」
と、さらに別の記者が続ける。
「噴火した“新岳”は“しんだけ”と読むのですが、誤りに気付かれた陛下は、すぐに言い直されていました。単なる読み間違いなのでしょうが、やはり不安を覚えました」
というのも、皇室ジャーナリストの神田秀一氏が説明するには、
「天皇陛下は、会見にあたってご自身で綿密に、時間をかけお言葉を練られます。正確を期した上で、天皇と国民の関係性が表せているか、憲法に抵触しないか、政治に関与することにならないか、外交に影響を与えないか、といったことに神経を配られ、まるで作家のように原稿の細部にわたって推敲を重ねる。つまり、お言葉は『自分の言葉』として頭に入っているはずなのに、この度の会見では絶句され、読み間違いが起きた。ご高齢を象徴していると感じます」
しかも、である。
「陛下のご負担を配慮し、前年は2つ認められていた記者団からの質問が1つに制限されました。また、事前に陛下に内容が伝えられる通常の質問とは別に、会見の場で記者がさらなる質問をし、陛下が即興でお答えになる『関連質問』も前年に続いて取りやめになった。そのため、かつては1時間近くに及んだこともあるお誕生日会見が、今回は約20分で終了。異例の短時間会見となりました」(前出関係者)
このように、さまざまな策が講じられていた中での「異変」だったのだ。
もっとも、天皇陛下もお歳を「自覚」されているご様子で、会見の最終盤にこう仰っている。
「私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。ひとつひとつの行事に注意深く臨むことにより、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」
先の関係者がこのお言葉の意味を読み解く。
「戦後70年の8月15日の全国戦没者追悼式で、通常であれば全参列者の黙祷の後に陛下のお言葉が続けられるところを、黙祷の前にお言葉を述べられてしまうという場面がありました。おそらく、これを『行事の時に間違えることも』と表現されたのでしょう」
奇しくも、陛下にとっての2015年は、ご体調面でも「節目の年」となったのかもしれない。
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