【「田中角栄」追憶の証言者】「小佐野賢治」ご推薦の候補を蹴っ飛ばしてくれた大恩――山東昭子(参議院議員)
参議院議員の山東昭子氏
派閥に所属する議員は角栄のことを「オヤジ」と呼んでいた。それは女性であっても例外ではなく、角栄の後押しで政治の道に飛び込んだ参議院議員の山東昭子氏(73)の場合、「オヤジさん」である。
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私の母が先月、97歳で亡くなったのですが、1918年生まれで、オヤジさんと同い年でした。オヤジさんが生きていれば、と思うことはよくありますね。
初めてお会いしたのは私が初めて出馬する前年、1973年のことです。オヤジさんから「君、いくつだ?」と聞かれて答えると、「俺の死んだ息子と同い年だなぁ」と言われましてね。その初対面の時に「どうだ、政治をやってみないか?」と聞かれたのです。どうしようか考えている私に、「選挙はタイミングだ。タイミングを外したら勝てないんだ」と言われたのをよく覚えています。その3年後の選挙の時にはもうロッキード事件が起こっていたから、私が政治の道に進むには、本当に74年のあのタイミングしかなかった。
選挙の際、オヤジさんの刎頸(ふんけい)の友と言われた小佐野(賢治)さんとの間でこんなことがありました。ある時、小佐野さんが自分が推薦する候補者の案を持ってオヤジさんのところへ行ったら、「要らない。俺は山東昭子を応援するんだ」と一蹴されたというのです。小佐野さんからは「なんであんた選挙出るんだよ」と文句を言われましたね。「選挙なんてその辺の電信柱にまで頭下げなきゃいけないのに、本当にできるのか?」と言うので、私が「やる気になっていますので」と返したらそれでもブツブツ言っていました。
田中角栄
一番感激したのは、「お前のためにこういうことをしてやっている」とは決して仰らず、陰ですごく応援して下さっていたことです。総理在任中にもかかわらず、手書きで200枚ものハガキを出してくれていて、私が色々な地方の有力者の方に挨拶に伺うと、「総理からハガキが来たんだよ」と言われるのです。
直接会った人はみんなオヤジさんのことを好きになってしまいますよね。オヤジさんはSPの人たちとも将棋を指したりお酒を飲んだり、人と人の付き合いをしていました。だから金脈問題で官邸を去る時、SPはみんなで泣いたそうです。人との接し方は非常に緻密です。相手が欲しているものが何なのかが、全てインプットされているのです。
「ワイド特集 再び振り返る毀誉褒貶の政治家の魅力的実像 二十三回忌『田中角栄』追憶の証言者」より
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