下半身の触れたお湯で上半身を穢してはいけない 明治天皇の入浴法
いつの間にか、入浴法の定番となった感のある半身浴。実は、天皇は大昔から半身浴を実践していた。『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』の著者、米窪明美さんが言う。
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「天皇夫妻のプライベート空間(御内儀)では、あらゆる場面で清らかであることが尊ばれ、清(清浄)と次(不浄)がはっきりと区別されていました。そのルールでは、人間の上半身は清浄、下半身は不浄。ですから、下半身の触れたお湯で上半身を穢してはいけないのです」
だから湯船には少なめにお湯が張られ、半身浴の形式で入浴しているのだ。清と次のルールは実に細かい。
「お風呂からあがるとき1枚の布で全身を拭くと体全体が“穢れてしまう”ので、明治天皇は専用の浴衣をまとって水分を拭きとっていたのです」
ちなみに、米窪さんが書いた『明治天皇の一日 皇室システムの伝統と現在』によれば、明治天皇は自分で体を洗わなかった。3人の女官がお供して入浴、「清」である上半身は上役の女官が、「次」である下半身は下級の女官が担当していたのだ。至れりつくせりだが、これも清と次のルールを守るためである。
お風呂は苦手、のはずが……
一方、昭和天皇は1人で入浴する。それもカラスの行水のようにあっという間だった。使用したあとをのぞくと、シャボンはあちらこちらへ飛び、スポンジは隅っこに転がっている状態だったというから、いささかお行儀が悪い。
「まるで幼い子供のようなふるまい方ですが、明治天皇のお風呂の入り方を考え合わせると、別の可能性も思い浮かびます。わたしは、たったひとりで清と次のルールを守った結果かもしれないと想像しているんです」
はっきりわかっているのは、昭和天皇はあまりお風呂が好きではなかったこと。ところが戦後全国巡幸の際、一般の宿に泊まると毎日のように入浴したという。つまり天皇は宮中のお風呂より民間のお風呂の方を好んでいたのだ。ちなみに、明治天皇も規則ばかりの入浴法のせいかお風呂が嫌いだったという。もしも民間のお風呂に入る機会があれば、風呂好きになっていたかもしれない。