【「田中角栄」追憶の証言者】地元神社の裏の階段が何段なのか言えなきゃダメだ!――鳩山邦夫(代議士)

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鳩山邦夫代議士

「歩いた家の数、手を握った人の数しか票は出ない」というのが田中角栄の信条だった。ロッキード事件で有罪判決を受けた直後の83年の総選挙でも圧倒的な強さを見せつけ、自身最多の22万761票を得て議席を死守。元祖“選挙の神様”の面目躍如だったが、彼が40年以上も前に、鳩山邦夫代議士(67)に伝えていた選挙の極意がある。

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「国会議員になりたければ、選挙に勝たなきゃならない。それには絶対に地元を知らなくちゃいけない。地元を知るということは……」

 懐かしそうに、44年前の田中とのやり取りを振り返るのは邦夫代議士だ。田中は当時、複数の閣僚経験を経てポスト佐藤栄作を競う「三角大福中」の一角として急激に存在感を高めていた。一方、邦夫氏は東大法学部の学生で、政治家を目指していた。

「そこで、取りあえず国会議員の秘書になろうと、目白のご自宅をお訪ねしたんです。すると神社を引き合いに、こう続けるんです。“家の近所の神社に行くことはあるだろう。だけど、神社の裏の階段が何段あるか知ってるか? 表の階段なら分かるかもしれないけど、裏の階段のことも知っていなくちゃいけない。それを覚えているようになれば、絶対に当選する”とね」

 田中の“口伝”はその後も続いたという。

「“政治家になりたければ全国の都道府県を知っていなくちゃいけない”“海外も絶対に知らなくちゃならん”などと言うわけです。私が“国会議員の秘書になりたい”と言うと、“ヒラ議員の秘書はロクなことを覚えない。やるなら総理大臣の秘書にしなさい。私が総理になったら雇ってやる”と、2時間近くも相手をしてくれました」

田中角栄

 ポンポン飛び出す大先輩の教えを、邦夫氏は“神の言葉”と受け止めたという。すぐさま日本中を旅して歩き、大学卒業後はアメリカに5カ月間滞在。帰国後の72年7月には、約束通り田中総理の秘書官に迎え入れられた。初めて議員バッジを付けたのは、その僅か4年後のことだった。

「選挙戦では“どんなに頭を下げても金は1円もかからない。だから頭は深く下げろ”“支援者には、『お父さんは元気か?』って聞け。父親のことまで心配してくれるのかって、感激するだろう”と、田中先生の教えを実践してましたよ」

 通算13回の当選は、師の薫陶の賜物だそうだ。

「ワイド特集 再び振り返る毀誉褒貶の政治家の魅力的実像 二十三回忌『田中角栄』追憶の証言者」より

週刊新潮 2015年12月17日号掲載

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