【「田中角栄」追憶の証言者】『日本列島改造論』のゴーストライターと呼ばれて――小長啓一(元総理秘書官)
通産省(現経産省)の官僚だった小長啓一氏(84)は1971年、通産大臣に任命された田中角栄の秘書官を務め、翌年、角栄に請われて総理秘書官に就いた。『日本列島改造論』のゴーストライターと呼ばれた小長氏が明かす、秘話の数々。
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田中角栄
「あなたが『日本列島改造論』のゴーストライターですか……」
72年9月。中国の人民大会堂で私に手を差し伸べながらそう言ったのは誰あろう、周恩来首相でした。国交正常化交渉のため訪中した田中さんに秘書官として同行している私のことまで調べ上げているとは……。中国側の調査能力には驚かされました。
田中さんの『日本列島改造論』が刊行されたのは訪中の約3カ月前。その前年の暮れ、本の版元となった日刊工業新聞の記者と私を含む通産省の若手、合わせて十数人が通産大臣室に集められました。で、1日数時間、田中さんの話を聞き、それを4日間続けた。田中さんは戦後自分が国土開発に携わったエピソードをみんなの前で滔々と話し続けるわけです。ガソリン税を作って道路特定財源に充てた話なんかは、得意絶頂の様子で話していた。次々と議員立法で法案を成立させるなど、一から自分でやってきたからこそ、頭の中に全て入っているんですよ。それは迫力満点だった。
楕円形の長机の端に田中さんが座り、我々は懸命にノートにメモを取る。それを後で通して読んで私が章立てを行いました。通産省関連の話以外の部分は、日刊工業新聞の記者が他省に取材に行って資料をもらってきて、田中さんの論旨と合わせる。他省が協力してくれるかという点は心配しましたが、皆「角さんがやるならウチも全面協力だ」と。これも田中さんの人徳のなせる技でしょう。
本のタイトル候補には、『国土改造』とか『国土総合開発』とか、そういう堅苦しいものもあがっていました。で、紙に候補をいくつか書いて田中さんに見せると、「これが一番分かりやすいね。これで行こう」と言われ、『日本列島改造論』に決まったのです。版元が日刊工業新聞に決まったのは、田中さんが「全国紙に頼むと、決まったところは喜ぶけど、外れたところが反田中になるから良くないね。日刊工業新聞なら、社長が新潟の人だから頼みやすい」と言ったからです。発売当日、私は売れ行きが気になって本屋に見に行ったのですが、飛ぶように売れていて、結局、九十数万部のベストセラーになった。
振り返ってみると、本当に人の使い方が上手いなぁと思いますね。私が通産大臣秘書官になってまだ1週間くらいの頃、田中さんから出身地を聞かれたので岡山だと答えたら、「岡山生まれだと、雪はロマンの対象だろう。だが、俺にとって雪というのは生活との戦いだ」と言われた。その時の迫力に気圧(けお)されて、私は田中さんの書いたものなどを片っ端から取り寄せて隅から隅まで読んだ。この時にいろいろなことを全て一から勉強したおかげで、彼の考えていることがよく理解できるようになった。それが『日本列島改造論』に繋がったわけです。
また、初めて目白邸に行った時にもこんなことがあった。いきなり田中さんから「今朝の新聞にこう書いてあったが、これはどういうことだ?」と聞かれたのですが、朝早かったため、新聞を読んでいなかった私は答えられなかった。私はその日のうちに全国紙など7紙の購読申込みをしましたよ。田中さんは決して「勉強しろ」とは仰らないのですが、自然と人を勉強しなければならない状況に追い込んでしまうのです。
「ワイド特集 再び振り返る毀誉褒貶の政治家の魅力的実像 二十三回忌『田中角栄』追憶の証言者」より
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