女子マラソン増田さん28歳で「骨密度は65歳の女性並み」 生理は止まる! 骨密度は老人並み! 美談ですまない「女性アスリート」過酷の日々(1)
泥を吸った花ほど美しく咲く、という言葉があるが、女性アスリートの活躍の陰にも、マスコミが報じない“戦い”が隠されていた。生理のストップ、老人並みの骨密度――。その秘められた「過酷の日々」を、ノンフィクションライター・歌代幸子さんがレポートする。
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1992年1月の大阪国際女子マラソン。現役最後に臨んだレース当日、晴れやかな笑顔でスタートを切った。だが、走り始めてまもなく、足が着地する度に痛みを覚える。先頭集団についていこうと思っても、5キロの制限時間もギリギリ通過。このままで完走できるだろうか……と不安な思いで走っていると、痛みはだんだん増していく。
競技場ではアウトコースにシクラメンを飾り、“花道”で迎えようと観衆が待っていた。それでもゴールは叶わず、ついに15キロで制限時間を超えてしまう。「どうしても最後まで走りたい!」と必死に頼んだものの、レースを中断された。
「翌日、病院でレントゲン検査を受けると、右足首の疲労骨折だと診断されました。その数日後、MRIの検査では脚に7カ所の疲労骨折があると。骨密度は65歳の女性並みと言われ、ショックを受けたのです」
元陸上選手の増田明美さん(51)が自らの身体の“真の状態”を知ったのは28歳の時。当時はまだ耳慣れない診断名で、そこまで悪化していたことに愕然とする。
顧みれば、過酷な競技生活の中で、増田さんの身体はボロボロだった。
「高校時代は監督の家に下宿し、毎日30キロ近く走り込みました。3000、5000メートルは体重が少ない方が速くなるといわれ、チーズの枚数も気にして食べるほど減量に徹していました」
小柄な身体で体重は38キロまで落ちた。19歳で出場した大阪女子マラソンのレースは路上で倒れ、栄養失調による貧血と診断された。
「2年半ほどは月経が止まり、体脂肪率も8%と極度に低かった。でも、“生理なんて来ない方が楽”と治療も受けなかったのです」
こうして挑んだ「晴れの舞台」、ロサンゼルス五輪では途中棄権に終わった。
「競技者としての重圧やケガの不安、人間関係のストレスもあったと思います。あの頃は“死にたい”と思い詰めていました……」