四半世紀前から西表島に住む「素っ裸おじさん」の過去

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 素っ裸で無人島に住んでいるだけなのに、マスコミが次々とやってくる西表島の「ナガサキおじい」。原始的な暮らしに惹かれたのか、旅行者までもが訪ねてきて一緒に裸になるのだという。

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地元では「ナガサキおじい」で通っている長崎真砂弓さん

〈かまどーま 思いぬ 殿さま 抱ぎ欲しゃでー 立ちぃん びりん うらるぬヨー〉(西表島伝承の「殿様節」より)

 海で隔てられた集落に住む女性が、遠く対岸の村にいる恋人を想う――そんな心情を歌った島唄にもあるように、沖縄県八重山諸島には今でも島内の交通手段が船だけという秘境がある。

 石垣島から高速船で約40分、マングローブの密林と美しい砂浜が広がる西表島は、沖縄で2番目の面積を有しているが、人口はわずか二千数百人。道が通じているのは島の半周だけ。いちばん西の集落「船浮」までは海路しかない。

 道路の終着点・白浜から船浮行きの定期船に乗り継ぐと、目の揃に現れるのが2つの無人島だ。その片方の「外離(そとばなり)島」に1人の男が住み着いたのは四半世紀も前のことだという。地元では「ナガサキおじい」で通っている長崎真砂弓(まさみ)さん(79)だ。

 真冬でも20度前後という気候も手伝ってか、おじいは頭にハチマキを巻いているほかは、1年の大半を一糸まとわぬ姿で過ごす。本人によると、これが無人島での正しい姿なのだという。

 東京で言えば近寄りにくいだけの「ホームレス」かも知れないが、ここでは、そんな扱いは受けない。

 もともと暖かい西表島には、ジャングルで一人暮らしする変わり者が他にもいた。かつて「西表のターザン」と呼ばれた別の老人(故人)などはイノシシを獲って生計を立て、船浮の住民からも慕われていた。住んでいた浜には今でも彼の名前が残る。「ナガサキおじい」はそこまでワイルドではないけれど、年寄りが1人、無人島に住んでいても不思議に思われないのが、ここ西表島なのだ。

■結婚歴アリ

 そのナガサキおじいは、もともと福岡県の出身。

 知人が言う。

「父親が写真館をやっていたこともあって、若い頃はカメラマンだったそうです。ところが、終戦の日に長崎の平和公園を撮りにいったとき、ショックを受けシャッターを切ることが出来なかった。カメラマンに向いていないと悟り、それからは北新地のクラブのボーイなど様々な仕事を転々とする。結婚もして1男1女をもうけていますが、最後は離婚届に判をついて家を出たとか。そして、静岡県の伊東で知り合った散髪屋の主人が西表出身だったことから島のことを知り、ここへ流れ着いたのが25~26年前でした」

 最初は製糖工場などで働いていたが、人間関係が苦手だったらしく、外離島の所有者の1人に許可を得ると無人島生活をするようになる。それからは、何もないけれど自由な毎日だった。簡易テントで雨露をしのぎ、天水を蓄えて飲み水にする。時には魚を釣り、モズクを採って食糧にすることも。文明を拒んでいるわけではなく、島の人から差し入れをもらったり、たまにはボートに乗って対岸の集落に野菜や日用品を買い出しに行ったりもする(その時は服を着ている)。

 現金は4歳年上の姉から月1回送ってもらう1万円だけ。カツカツの暮らしだが、それでもやってゆけるのは、島の懐の深さもあるのだろう。

「特集 日本でただ一人の好事家『ヌーディスト』の受難 『素っ裸おじさん』が西表の無人島を追い出された顛末」

週刊新潮 2015年12月3日号掲載

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