朝日が手放しで喜んだ「アウン・サン・スー・チー」独裁政権の悪評
人間の本性が露わになるのは、何も絶体絶命の窮地に限った話ではない。むしろ得意の絶頂にある時にこそ、腹の底が垣間見えるというもの。悲願の政権奪取を確実にしたアウン・サン・スー・チー 女史(70)の“発言”も然りである。喜色満面の朝日新聞を尻目に、ミャンマー国内では新たな“独裁政権”を危惧する声が渦巻き始めている。
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“アラブの春”の二の舞とも
〈軍事政権下で自由を求めて闘った人たちにとって歴史的な勝利であり、アジアの民主主義にとっても重要な節目である〉
今月8日に行われたミャンマーの総選挙で、スー・チー女史率いる野党NLD(国民民主連盟)の勝利が伝えられると、朝日は社説で高らかに“祝砲”を鳴らしてみせた。
しかし、そんな朝日の熱狂ぶりとは対照的に、現地は静けさに包まれているという。ミャンマー在住のジャーナリストによれば、
「軍事政権の目を気にしている面はありますが、正直なところ、国民もメディアもお祝いムードとはほど遠い状況です」
NLDは13日時点で、国会の過半数を上回る378議席を獲得。来年3月末には、NLD主導で新政権が樹立される見通しだ。
ところが、待ちに待った“民主主義の勝利”に水を差したのは、他ならぬスー・チー女史だった。
「ミャンマーの憲法の規定で、外国籍の子供を持つ彼女は大統領になれません。しかし、投票日の3日前の記者会見で彼女は、“私が大統領の上に立つ”と宣言したのです」(同)
■私が全てを決める
朝日が〈ミャンマーの母〉〈民主化の象徴〉と持ち上げ続け、ノーベル平和賞まで受賞した女史の暴走は、それだけに留まらない。大勢が決した10日には、「新たな大統領には何の権限もない」「勝利した党のリーダーである私が全てを決定する」とぶち上げたのだ。先のジャーナリストが続ける。
「彼女はこれまで法の支配の重要性を説いてきました。にもかかわらず、憲法で“ミャンマー国民全員の頂点に位置する”と定められた大統領を軽んじては話にならない。すでに知識層を中心に、“スー・チー独裁政権”への危機感が強まっています。今回のNLD勝利にしても、多くの国民は彼女のカリスマ性に期待したわけではなく、軍事政権に嫌気が差しただけです」
NLD支持者からも“具体的な政策が見えない”と政治音痴ぶりを批判される始末だという。さらに、彼女が政権を牛耳れば、
「軍と軋轢が生じるのは必至。軍に近い政商たちが担ってきたミャンマー経済は混乱を避けられず、外国資本が撤退する事態になりかねない」(同)
1995年から3年間、ミャンマー大使を務めた山口洋一氏も懸念を口にする。
「NLDには学生運動上がりの過激派や旧共産党系のメンバーが多く、政治経験に乏しい彼女を支えるブレーンが存在しません。未だに大統領候補の名前が挙がらないことも人材不足の証左です」
大使だった当時、山口氏は2カ月に1度は女史と面会していたそうだが、
「あの頃の彼女は本当に横暴で、全学連の女闘士という印象でした。軍事政権との歩み寄りを説いても、“日本の大使の言葉とは思えません!”と罵倒されたものです。とはいえ、ミャンマーの優秀な人材が軍に集まっているのは事実。軍のバックアップがない限り、新政権に期待は持てません」
折り合いをつけるどころか、独裁が取り沙汰されるようでは、“希望の星”は地に堕ちたも同然なのだ。
「ワイド特集 ふとどき者ほどよく眠る」より