新聞は一切書かない東住吉放火冤罪「釈放男」が女児に許されざる暴行

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「朴さんを許せない」

 一方の青木元被告も服役中の11年夏、刑務所の所在地である和歌山の支援団体に宛て、

〈お風呂場の中に入り、娘を連れ出していれば、娘は助かっていたかもしれません〉

 そんな自責の念を手紙で打ち明けながら、逮捕前後の状況を詳述している。

〈(95年)9月10日の早朝、刑事達が来て、「話を聞きたいので用意して……」と言われたので、私は、「火災の原因が判ったんだ」と思いましたが、マンションの玄関を出ると、当時8歳だった息子とも離されて、朴さん、私、息子は別々の車に乗せられました〉

〈取調室に入り、いきなり「やったんやろ」と言われて、私は「やってません」と言いましたが、刑事は全く聞く耳を持っていませんでした〉

 そして、ここから刑事は一気に畳み掛けていく。

〈朴さんが、娘に性的虐待をしていたことを聞かされて、私は、「なんてことを言うの」と信じられない気持でした。その一方で、刑事は「お前は、女として娘を許されへんかったから殺したんか。三角関係のもつれから殺したんか……」等と暴言を言われて、頭の中が真白になり、パニック状態でした〉

〈再び、刑事から「本当の話や。朴の精液が、娘の膣内から出てきてる」と言われ、信じるしかありませんでした。朴さんが「自白」したというファックスを見せられ、(中略)刑事に言われるがままの言葉を、白い紙に5枚書きました〉

 こうした朴元被告の行為は、12年3月に大阪地裁が再審開始を決定した際の「決定文」でも、

〈(逮捕前の)8月14日、警察官による取り調べにおいて、(青木元被告の)長女との間に性的関係がある旨の自供書を作成〉

 と触れられている。再び青木元被告の手紙に戻ると、こうした経緯もあって彼女は、次のような言い回しで支援者に呼びかけを行っているのだ。

〈「東住吉事件」は、他の事件と違って、私自身が朴さんを許せないために、共に争っていくことができず、ご支援して頂く上で、大変やりにくいことが心苦しいです。私の気持を察して頂いた上で、ご支援して頂ければ幸いです〉

 冤罪という司法のひずみが明るみに出たことで、メディアは鬼の首を取ったかの如く騒ぎ立てた。が、本件と決して無関係ではない「事実」には、依然フタをしたままなのだ。

 あらためて青木元被告に胸中を尋ねると、

「弁護士さんを通して貰わないと……」

 と困惑しながら、20年ぶりの対面がなされない点については決然と、

「(朴元被告とは)お会いしません」

 一方の朴元被告は、代わって母親が、

「(性的虐待については)承知しています。でも、まだ裁判中ですので……」

 歓喜の裏には、のっぴきならない事情が厳とそびえていたのだ。

週刊新潮 2015年11月26日雪待月増大号掲載

「ワイド特集 ふとどき者ほどよく眠る」より

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