水泳帽の市場をゼロからつくりだす 「介護」という言葉をつくった下町企業(2)

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(2)学童用水泳帽の市場も創設

 磯部と彼が率いるフットマーク社は、「介護」という言葉を発明したことで、それまでに存在しなかった「介護市場」という巨大な分野を創造することになったわけだが、磯部が「市場丸ごとの創造」をしたのはこれが最初ではない。

 実はフットマーク社は、学童用水泳帽の市場で圧倒的なシェアを占めている。この学童用水泳帽の市場も磯部が「発明」したものなのだ。『なんにもないから知恵が出る 驚異の下町企業フットマーク社の挑戦』には、その開発ストーリーも詳しく語られている。

 大阪・船場での丁稚奉公を経て1967年に実家に戻ってきた磯部は、ある悩みに直面していた。おむつカバーは夏場に売り上げが落ち、工場の設備が遊んでしまう。ならば、夏場に売り上げがたち、設備を遊ばせずに済むような商品はないものか──。

 そう考えた磯部は、「おむつからオツムへ」という発想転換に行き着いた。おむつカバーで培った技術を、水泳帽に転用することを思いついたのである。

 とはいえ、当時は全国の学校でプールの設置がようやく進んだくらいで、水泳教育は手探り状態だった。プールで水泳帽を被る習慣も全くない。

 そこで磯部は、水泳連盟などと協力して「泳力」という概念から考え出し、泳力によって水泳帽を色分けしたり、印を変えたりするシステムを開発したのである。いわば、学童用水泳帽という商品を、水泳教育というシステムとパッケージにして売り出したのである。

 実は、学童用水泳帽のLサイズは、磯部の頭の大きさである。磯部は、「基準なんて何もありませんでしたから、自分本位で考えた結果です。でも、帽子の試着をしすぎて髪の毛が抜けて、今ではMサイズになりましたけど」と振り返る。

 フットマーク社が「市場丸ごとの創造」を果たした事例は、介護用品と学童用水泳帽だけではない。しかし、「下町の気のいいおじさん」然とした磯部は、『なんにもないから知恵が出る 驚異の下町企業フットマーク社の挑戦」の中で、「自分のやってきたことなんて大したことない」と述べている。

 確かに「下町ロケット」や「下町ボブスレー」のような派手さはないかも知れない。しかし、東京の下町にある中小企業が、いまや日本人にとって当たり前に思える「文化」を何度も生み出していたという事実は、多くの中小企業関係者に夢を与える話ではないだろうか。

 ちなみに「介護」という言葉はフットマーク社が商標登録しているが、フットマークは使用料をいっさい請求していない。

 磯部本人は「以前、『がっちりマンデー!!』というテレビ番組に出た時、森永卓郎さんから『もしお金を取っていたら城が建ってる』って言われたことがあるんです」と静かに笑うだけだ。(文中敬称略)

デイリー新潮編集部

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