高木復興相はミス敦賀コンテストで獲物を物色していた! ミスコン運営関係者だったパンツ大臣

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 高木毅復興相(59)の「下着ドロボー」問題は、ついに11月10日の予算委員会でも取り上げられた。民主党の柚木(ゆのき)道義議員の追及に「事実無根」と述べつつ、そう言い切る根拠を問われると答えられなかった“パンツ大臣”。当の被害者は現状をどう見ているのだろうか。

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 事件の被害者は、福井県敦賀市内の高校を卒業し、後に福井銀行に就職。敦賀支店で窓口業務を担当している時に被害に遭ったが、その後、1989年頃に結婚したという。

「結婚式には出ませんでしたが、ご祝儀をお二人に渡したのを覚えています。彼女は寿退社し、その後、89年春頃に旦那さんの転勤で関東地方に引っ越されました」(福井銀行関係者)

 彼女が後に夫となる男性に出会って交際を始め、結婚して関東地方に住居を移すまでの時期。敦賀の青年会議所(JC)関係者によると、高木氏が彼女の下着を盗んだのも、まさにこの期間だったという。

「事件があったのは87年か88年だったと思う。彼女は敦賀支店で働いていて、私は商売をやっていたので売上金を持っていった時なんかに彼女と世間話をすることもあった。綺麗で上品な方でね。狙ってた男は多かったんやないかな」

 JC関係者はそう振り返るのだ。

「私がなぜあの事件の被害者が彼女だと知っているかというと、あの事件にはJCが絡んでいたからなのです。敦賀には、毎年9月上旬に行われる敦賀まつりという大きなイベントがあります。そこで、86年から94年まで、『ミス敦賀コンテスト』というのをJCの主催でやっていたのですが、その運営に高木くんは関わっていたのです」

 当時の高木氏の肩書は、敦賀市長を務めていた父親の孝一氏が設立した「高木商事」の社長というものだ。

「高木くんも手伝ってミスコンの準備を進めていたのですが、やっぱり田舎だからなかなか集まらない。そこで、福井銀行などの地元企業に若い女性社員を出してもらっていたのですが、そういう経緯でミスコンに出ることになったのが、下着事件の被害者です。ミスや準ミスには選ばれませんでしたね。その審査会場に高木くんがいたのはよく覚えています」(同)

 それが87年か88年の秋のこと。そして、89年春までの間に事件は起こるのだが、当時、JCの内部では次のような話が囁かれたという。高木がミスコンで知り合った女性に夢中になってしまったらしい……。

■参加者のファイル

「ミスコンのあった夜に、参加者とJCの担当者による打ち上げが行われたのですが、そこで彼女のことを一方的に好きになってしまったということだった。高木くんは既婚者やったのに、一体、何を考えていたんやろうね」

 と、JC関係者は続ける。

「当時、高木くんがミスコン参加者の資料が入ったファイルを持ち歩いていたのを覚えていますが、そこには参加者の自宅の住所も書いてある。つまり、高木くんは被害者の自宅の住所を簡単に知ることが出来る立場にいたのです」

 高木氏は事前に合鍵を作り、手袋をして彼女の家に侵入したが、彼女の住所を割り出すにあたり、「ミス敦賀コンテスト」の運営関係者という立場を利用した可能性が高いのだ。何という悪質さだろうか。

 予算委員会で高木氏を追い詰めた民主党の柚木議員が言う。

「彼には、大臣としてどころか、議員としての資質が欠けているのは明らか。私の調査では、彼が香典を出したうちの複数のケースが違法であることが分かった。また葬儀などに枕花を出すのはそれ自体が違法です。その上、下着ドロボーを働いた過去があるような人に、被災地目線での復興が担えるはずがありません」

 いよいよ窮地の高木「パンツ大臣」。辞任が先か、下着ドロボーの“別の証拠”が明らかになるのが先か――。

「特集 目撃者が犯行車両のナンバーを証言! 『パンツ大臣』が獲物を物色した昭和末期『ミス敦賀コンテスト』」

週刊新潮 2015年11月19日号掲載

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