「ナチス略奪美術品」の深い闇――福田直子(ジャーナリスト)
遺言は「スイスへ寄付」
2014年5月6日、心臓病を病んでいたコルネリウス・グルリットはミュンヘンの自宅で静かに息をひきとった。81歳だった。
グルリットが亡くなる3ヶ月前、ザルツブルクのグルリット別邸からもまとまった美術品が238点、みつかった。マネ、ルノワール、リーバーマンなどの作品で、ミュンヘンのコレクションと同じ趣向だ。
実はこの数年間、ドイツと隣り合わせのオーストリアでも略奪美術品に関する問題がたびたび浮上している。冒頭で紹介した映画「黄金のアデーレ」は、ユダヤ人としてオーストリアを追われたマリア・アルトマンが8年かけて争った結果、クリムトの絵を返還してもらうという筋書きだ。このケースでは、アルトマンが長命であったことと担当した弁護士が作曲家アーノルト・シェーンベルクの孫で決して屈しなかったということが幸いしたが、絵画をめぐる訴訟は時間と経費がかかり一筋縄ではいかない。
略奪美術品は、まずその美術品が家族の所有物として証明されなければならない。美術品をめぐる訴訟では遺族は年をとり、弁護士費用が重なってゆく。「ウィーンのモナリザ」とオーストリア人に呼ばれたアルトマンのおば、アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像画は、返却されたあと、訴訟費用を捻出するために資産家のロナルド・ローダー氏に購入され、現在はNYの美術館に収められている。
かつてヒットラーが世界最大の美術館を建てる夢を見た街、ドナウ河畔の小都市、オーストリア、リンツでは、12年前、斬新な建築で「レントス美術館」がオープンした。コレクションの根幹となる美術品は、グルリット家の親戚、ヒルデブラントのいとこのヴォルフガング・グルリット(1888~1965)による寄付から成り立っている。レントス美術館の前身となる美術館は、戦後、数年間は「ヴォルフガング・グルリット美術館」と呼ばれていたが、なぜか美術館の名称は改名された。
コルネリウス・グルリットもヴォルフガングのように、自分のコレクションを美術館で展示したいとは思わなかったのだろうか。それともコレクションの多くの出所が「いわくつき」ということを自覚して、そのために「ひきこもり」生活を選んだのだろうか。
グルリットの遺書によれば、コレクションはスイス、ベルンの美術館にすべて寄付するとのこと。なぜスイスなのか。執拗に追及したドイツの税関やマスコミに対するあてつけという見方もある。
スイスは父、ヒルデブラントがせっせと通い、美術品を売っていた市場でもあった。また、スイスは美術品の来歴調査がおおまかなことで知られる。つまり「ナチスの美術品の過去」が追及されにくい、美術品の来歴がロンダリングされやすい、とも憶測される。
ともかく、世の中がどう変わろうと、黙して語らなかったコルネリウス・グルリットの人生の目的はただひとつ。父親からひきついだ美術品コレクションを自己管理することだけだった。
美術界では「価値のあるコレクションの存在」は常に意識されており、作品群が市場に出るのは遺品となったとき、ということは常識だ。ミュンヘン周辺の美術関係者のあいだでもグルリットのコレクションの存在は知られていた。にもかかわらず、これまで沈黙が保たれていた。もし、グルリットがスイスからの電車の中で税関に検査されなければ、一人の独居高齢者として自宅で絵に囲まれながら静かに往生し、「ナチス美術コレクション」は密かにオークションに出されていたかもしれない。「グルリット事件」発覚のため、どこかで盗難美術品の発覚を恐れ、新たにお蔵入りした美術品もあるかもしれない。
ロンドンで美術品を元の所有者に返還する仕事をしているアン・ウエッバー氏は言う。
「ナチスによる略奪美術品のうち今も9割は行方がわかっていないし、ドイツは充分な策をとっていない」と。ウエッバー氏の所属する「欧州略奪美術品コミッション」は15年前に設立されて以来、3千点の美術品を元の持ち主へ返還することに成功している。インターネットの普及もあり、返還運動は活発になったとはいえ、略奪美術品に関しては、大部分が謎につつまれたままだ。ドイツ側の情報開示についても問題があるし、元の持ち主への返還は遅々として進んでいない。ユダヤ団体は略奪美術品を「(ドイツによる)最後の囚われもの」とも呼んでいる。
果たして「グルリット事件」でなにかが変わるだろうか。
ドイツ政府の問題解決、調査の遅延については、「最後のアーリア化だ」とある歴史家が糾弾する。ドイツ政府は「ドイツの文化資産」が国外へと流出しないよう、舞台裏で模索しているとも伝えられる。
「ドイツの“非ナチ化”には少なくとも4世代を要する」と、ある美術記者は言う。ナチスを生きた世代、親に反発あるいは無言で過ごした世代、祖父たちの行為を薄々知っている世代、そしてナチス時代の曾祖父の実際の行為を全く知らない世代、ということになるだろうか。
一人の老人の挙動不審なふるまいで明らかになったナチスの負の遺産。美術品に限らず、ドイツはナチスから逃れられない。
ところでベルンの美術館は、グルリットの美術品を遺産として受け入れることで、2014年度は弁護士費用などに年間の予算以上の資金を費やし、財政は赤字に転落したと発表した。とりあえず、「グルリット・コレクション」は2017年、カッセルで5年ごとに開催される美術フェスティバル、「ドクメンタ14」で数十年ぶりに一般公開される予定だ。
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