「ナチス略奪美術品」の深い闇――福田直子(ジャーナリスト)
2年前、ドイツで人目を避けるように暮らしていた老人の家から、大量の「いわくつき美術品」が見つかった。数奇な人生から浮かび上がる「ナチスの負の遺産」――。
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80歳の「ファントム」
この秋、ナチスの略奪美術品を扱った2作の映画が日本でも公開される。戦時中の連合軍特殊部隊による奪還作戦を描いた「ミケランジェロ・プロジェクト」(11月6日公開、原題:The Monuments Men)と、クリムトの名画の返還を求めて訴訟を起こしたユダヤ人女性の実話を基にした「黄金のアデーレ 名画の帰還」(11月27日公開、原題:Woman in Gold)である。
世界的な関心の高まりを感じるが、実際にはナチスが略奪した美術品60万点は、今なお行方がわからないものも多い。「美術品は今も誰かの家の居間にあるはず」、美術関係者の間ではそう囁かれていても、現実に表に出てくることはほとんどなかった。
ところが、ちょうど2年前、ドイツ・ミュンヘンで、そうした“美術界の噂”を裏付ける事件が起こった。
2013年11月、「ナチスに略奪された名画が大量に発見される。その価値10億ユーロ(約1330億円)相当か」というニュースが、世界中をまたたくまにかけめぐったのだ。その後、評価額は大幅に下方修正されたが、戦後70年近くになってこのような「宝の山」が個人宅で発見されたのは前代未聞であった。
ミュンヘン市北部、若者に人気のシュバービング地区の繁華街をややはずれた住宅街。一人暮しの高齢者男性宅には、所狭しと1280点の美術品が保存されていたのである。
ミュンヘンといえば、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の発祥地。かつてこの都市から、独裁者による恐怖政治がヨーロッパ中に広がった。
この「偶然の発見」の発端は2010年9月22日に遡る。チューリッヒからミュンヘンへ向かう列車の中、ドイツの税関職員がある乗客の持ち物検査を行った。
上品な服装をした白髪の高齢の男性は、はじめ「申告する物はない」と述べた。が、そわそわしたそぶりを不審に思った職員がトイレで検査すると、真新しい紙幣で約9千ユーロ(約120万円)を所持していた。その額は国境を越えて合法にドイツに持ち込める現金の上限額、1万ユーロをやや下回る。そのこと自体は法律違反ではないとはいえ、ドイツの税関はあやしいと思うと容赦なく調べまくる。
2年後の2月28日、税関は男性が住むミュンヘンのアパートを早朝に家宅捜索した。脱税容疑である。そこで見つけた美術品の山に、さすがの税関も戸惑ったようだ。大量の美術品を没収するため、後日、トラックを用意。捜査には数日かかった。
捜査から2年近く、週刊誌「フォークス」がスクープするまでこのような「発見」が発表されなかったことについて、ドイツ政府はユダヤ人団体をはじめ、激しい抗議を受けた。美術品のうち、458点はナチスがユダヤ人から没収、あるいは二束三文で買い上げた「略奪美術品」の疑いがあったからだ。
アパートの住人の名前はコルネリウス・グルリット、無職、80歳。住民登録地はオーストリアで、アパートはグルリットの母親(故人)が戦後、購入したものだった。アパートの周辺はゆったりとした敷地で、緑が深く整然としているものの、建物は典型的な1950年代のコンクリート製マンションで今はあまり人気がない。
人々の関心のまととなったのは、美術コレクションの「持ち主」の奇妙さである。
グルリットは生涯、職業についた形跡もなければ、健康保険にも入っていない。年金の申請もしてなければ、不動産税以外は納税もしていない。収入がないため、親の財産で生活している。いわば、「ひきこもり高齢者」である。
グルリットへの単独インタビューに成功した週刊誌「シュピーゲル」によれば、たまの外出というと、夕方、タクシーで市内に衣料品や食料品を買いに行くときか、数ヶ月に一度、医師の診察を受けるため数百キロ離れた街へ電車で行くときだけだ。その場合、古めかしいが丁寧なドイツ語で、タイプ清書した手紙をホテルに郵送し、宿泊の確認をする。医者の数が過剰といわれるミュンヘンをわざと避けるように遠方の医者へ通うだけでも奇異だが、グルリットには交友関係もなければ、結婚したこともなく、子供もいない。3歳下の妹は3年前に亡くなり、世間からは隔絶されたアパートで、美術品を眺める毎日。テレビは受信料を払わなければならない(そうすると社会との接点ができてしまう)ために持たず、ラジオと新聞からときおり世の中の動きを知るぐらいで、自分の存在を世間に知られることを拒むような生活だった。マスコミはグルリットを透明人間、あるいは「ファントム」(幽霊)と呼んだ。
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