中国共産党に「歴史認識」を問う資格はない! 日本軍に感謝していた毛沢東

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 今年の9月3日、中国は「中国人民抗日戦争勝利と世界反ファシズム戦争勝利70周年」なる記念行事を行なった。演壇にプーチン大統領や「戦争犯罪人」のバシル・スーダン大統領などを並べて「反ファシズムの軍事パレード」とは悪い冗談だが、「反日」を外交の道具にする習近平政権の意図はよく分かる。翌10月には南京事件をユネスコの世界記憶遺産に登録させたのも、こうした中国外交の「成果」だろう。習近平政権は一貫して「歴史認識」を対日外交のカードに使い、日本にも「正しい歴史認識」を求め続けている。

 しかし、そもそも中国共産党に「正しい歴史認識」なるものを求める資格があるのだろうか。新潮新書『毛沢東 日本軍と共謀した男』(遠藤誉著)を一読すれば、共産党が善玉で「ファシズム日本」が悪玉だとする中共の歴史観は木っ端みじんに砕かれるだろう。むしろ、中国共産党が天下を取れたのは、他ならぬ「ファシズム日本」と協力したからである、という事実が明確に浮かび上がってくるのだ。

■日本軍に情報を売っていた毛沢東

「日本軍の進攻に感謝する」──。こう明確に言い切った中国人がいる。他でもない、「建国の父」毛沢東だ。これは1956年9月4日、訪中した元日本軍中将、遠藤三郎に対して毛沢東が言った言葉だ。

 日中戦争の時期、毛沢東は「国共合作」で得た国民党の情報を日本に売り、巨額の情報提供料を得ていた。それどころか、潘漢年(はんかんねん)というスパイを通じ、日本軍に停戦を申し入れてもいる。毛沢東の基本戦略は、日本軍との戦いは蒋介石の国民党軍に任せ、温存していた力を日本軍が去った後の「国民党潰し」に使い、自分が「皇帝」になることにあったからだ。いわば、「建国の父」が自ら、人民を売っていたのである。

 毛沢東は戦後も一貫して、日本の軍人と協力しようとしていた。

 日本の敗戦後に4年間続いた国共内戦は、共産党の勝利に終わる。中国共産党は49年に中華人民共和国の建国を宣言した。とはいえ、中華人民共和国が国連に加盟するのは71年なので、それまでは「国際的に承認された中国」は中華民国(台湾)のままだった。だから、中国人の意識の中では戦後も「国共内戦」は続いていたのだ。
 当時は中共も台湾も「日本軍人の力を使って」相手を潰すことを考えており、日本の軍人は中台が奪い合う対象だったのだ。

 毛沢東は、日本の支那派遣軍総司令官だった岡村寧次大将を中国に招きたかったが、戦後に蒋介石と太いパイプを築いた岡村は「白団(パイダン)」という元日本軍人による軍事顧問団をつくって台湾を支援していたため、代わりに招聘したのが遠藤中将だった。毛沢東の「日本軍に感謝する」発言が、他ならぬ元日本軍人に対してなされたのには、そういう背景があった。

 ちなみに毛沢東は、日本軍の「侵略」という言い方は、一貫して使っていない。使っていないが、日本人の側が贖罪意識から、毛沢東の使う「進攻」という表現を「侵攻」「侵略」と言い換えている例は多々ある。
 『毛沢東』によると、徹底したリアリストだった毛沢東は、彼に会いに来る日本人がみな左翼で、誰もが判で押したように「謝罪」ばかり口にすることにうんざりしていたという。それもそのはずだ。彼が欲しかったのは「左翼の謝罪」ではなく、「元日本軍人の協力」だったのだから。

デイリー新潮編集部

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