頼りない「松野頼久」代表が頼る「松野家」家訓の読み違い
今回の「維新の党」分裂騒ぎの発端は、当時幹事長だった柿沢未途氏が、8月14日、推薦外の候補を応援したことに端を発する。これに松井一郎・大阪府知事(51)らからの「責任をとれ!」の声が上がった訳だが、もし「維新の党」のトップが指導力、調整力に長けた人物であれば、こんないちゃもんなど、簡単に処理していたのは疑いない。しかし、不幸は、そのトップが松野頼久代表(55)であったことだ。
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松野頼久代表
「あの人は、本当に良い人なんですが――」
と、東京側「維新」の議員がため息をつきながら言う。
「その分、自分の判断で決めきることが出来ない。“会議魔”として有名で、根回しもせずにやたら会議を開き、みんなの意見をフラットに聞きたがるのです」
その象徴が、騒動当初に橋下徹・大阪市長(46)が仲裁策として検討していた、「柿沢―松井の公開討論会」だった。一時は実現しそうだったこの討論会は、結局、幻と消える。
「提案者の橋下さんはもちろん、松野さんもやる気でした。もし行われていれば、十分議論をさせた上で、事は丸く収まっていたはず。しかし、松野さんは、不安になったのか、悪い癖が出た。ネゴも無しに、突然、両院議員懇談会を開いて、みんなの意見を聞いたのです。強硬な反対論に引きずられて、開催が流れたのは当然でした」(同)
そしてこの“弱さ”は、大阪側をすら呆れさせていた。分裂が決定的になり、双方がその条件の協議を重ねていた、10月12日のこと。
大阪側「維新」の幹部議員が言う。
「実はこの時、我々と松野さんとの間では、“円満な解決”を目指して、10項目の合意案を作っていたのです。“一部の議員の分党を認める”“政党交付金は折半する”などというものでした。そして、翌13日の18時をタイムリミットに、双方が党内の同意を得る、という約束までしていました」
■「結い」と「大阪」の板挟み
しかし、松野氏は、この同意取り付けに失敗する。東京側で、強硬な姿勢を見せていたのは、旧「結いの党」のグループであるが、
「まず松野さんは『結い』を束ねる江田憲司前代表に電話をしました。が、取り付く島もなく“反対だ!”とまくし立てられ、電話を切られてしまったそうです。そして翌13日の執行役員会で、同じ合意案を諮(はか)ったところ、『結い』系に猛反発されて、これも頓挫してしまいました」(同)
そうこうする間に、タイムリミットの18時は迫ってくる。17時半、松野氏の事務所を訪れたこの幹部議員が見たのは、ソファに座ってうなだれている「代表」の姿だったという。
「ただでさえ悪い顔色がさらに悪くなっていました。で、“江田さんはもう僕の電話を取ってくれないからどうしようもない”と。時々テーブルに肘をついて頭を抱えながら、“大阪に妥協をしている、と言われたらどうしようもないんだよ”“結い系が出ていってしまったらもうどうしようもない”などと言って、なすすべなく時間切れを迎えてしまいました」
当の松野代表は、「批判は甘んじて受けますが、円満に別れるべきだと今でも思っています」と言う。
が、対立相手に大将が弱みを見せてしまっては、はじめから勝負は見えていたと言っても差し支えあるまい。
「祖父、父と大物政治家だった松野家には“家訓”がありまして――」
と語るのは、ベテランの政治部デスク。
「それは、“政治家は喧嘩をしても一分(いちぶ)を残せ。その一分が必ず生きてくる”というもの。これに従って、松野さんはいつでもどんな場面でも争いを好まない。最後まで握手をして円満に別れたい男なのです」
しかし、このデスクによれば、これは、誤った解釈なのだという。
「本来は、とことんケンカをして相手を追い込んでも、最後は1%だけ相手に与えてやれ、という意味なんです。しかし、松野さんの言動を見ていると、喧嘩はそこそこに、1割くらいは相手に渡せ、と解釈しているようにしか見えません」
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