21世紀型国歌を提言する/『ふしぎな君が代』

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 はて、「君が代」を一番最近歌ったのはいつだったろうか。『ふしぎな君が代』の描く国歌「君が代」の紆余曲折に富んだ来歴を読みながら、そのことが頭の隅にひっかかっていた。ごく普通の日本人が「君が代」の意味と歴史をゼロベースで知ることを目ざした本書は、「君が代」へのこそばゆい思いを刺激するところがあるからだ。

「君が代」は長年、文部省と日教組の対立の構図の中に置かれていた。多くの人にとって、「君が代」が「面倒くさい歌」になってしまったゆえんである。本書で知ったのだが、日教組は村山富市政権下の戦後五十年の年に、「日の丸」「君が代」闘争から撤退を宣言した。後には散発的な抵抗があっただけで、国旗国歌法が成立し、公立学校卒業式での「君が代」斉唱率は九十九パーセントを超えているという。

 著者の辻田真佐憲は一九九七年に大阪府下の市立小学校を卒業したというから、まだ三十歳そこそこである。そんな年齢でも「君が代」で一冊の本を書くのか。正直、不思議だった。忽然と了解できたのは、著者の小学校の卒業式は、一パーセント以下の稀少な抵抗の現場となり、著者は否応なく、当事者にされていたのだった。

 担任の女教師は「君が代」反対の意思表示として、演奏時に着席した。あらかじめ着席を宣言し、受持ちの児童たちに強制はせず、自主的判断にまかせた。「周りの同級生たちはあっという間に座り始めた。ここで立っていては気まずいので、私もすぐに座った」。隣のクラスは全員立ったままだった。

 本書の終わりの方に出てくる挿話である。「何も知らない小学生を巻き込むべきではなかったと思う。私は小学校の退屈な卒業式をこうして本のネタにできているのでよいが」。著者はそう韜晦しているが、「気まずいので、すぐに座った」幼い日の自身の動作を、二十年近く考え続けてきたがゆえの本なのだと思われる。著者が想定している読者は、座った級友たちと、立ったままの隣のクラス、彼ら同級生全員なのではないだろうか。つまり普通の日本人全員だ。

 著者は世界中の軍歌のコレクターで、『日本の軍歌』『たのしいプロパガンダ』といった、大衆文化史に潜む「宣伝」の威力に着目した本を書いている。おたく的資質と研究者的バランスを兼ね備えていて、その位置から「君が代」の歴史も解体していく。「君が代」はありがたがられも、嫌われもしない。あいまいな成立の事情から筆を起こし、戦争の時代も平和の世をものりこえて、サバイバルしてきた生命力を解き明かそうとしている。筆致はあくまでも軽快だ。荘重な「君が代」はリミックスされて、ポップになっている。

 松本健一は『「日の丸・君が代」の話』で、幕末のおなじみの進軍歌「宮さん宮さん」が国歌になっていてもおかしくなかった、と書いていた(「国歌とすれば、気品に欠けるが」と断っている)。なかなか愉快な想像である。国歌があの軽快な「宮さん」だったならば、近代日本の歩みは別物だったかもしれない。

「君が代」についても、明治の途中までは、五つの曲が競い合っていた。文部省、陸軍省、海軍省、宮内省といった官庁の縄張りあらそいの中で、意外にも海軍省が宮内省を味方に抱き込んで勝利をつかんだ。それには和洋折衷の曲づくりの妙味があった。

 現行の「君が代」普及に力があったのは、なんといっても文部省であった。祝祭日用の歌として「唱歌科」が必修となり、楽譜や歌い方が統一されていく。その歌が神聖不可侵なシンボルとなるのは、ずっと時代が下がって、昭和十二年、「修身科」の国定教科書に現代語訳付きで、詳しく紹介されてからだった。敗戦までの以後わずか十年足らずが、「君が代」の戦争協力の時代といえる。その間、国民に親しまれたのは、むしろ準国歌といえる「愛国行進曲」と「海ゆかば」という二つの新曲だった。

 昭和二十二年、日本国憲法施行記念式典では「君が代」は歌われなかった。それどころか、天皇退場の際に演奏されたのは「星条旗よ永遠なれ」だった。瀬戸際の「君が代」を救ったのは、吉田茂内閣の天野貞祐文相だった。天野は昭和二十五年の国会答弁で、「君が代」は「天皇というシンボルを讃えることを通じて、日本国や日本国民をも讃える歌と解釈できる。従って、主権在民の原則と『君が代』は矛盾しない」と解釈した。この解釈は後々、「君」とは「象徴天皇」であるという政府見解につながっていく。

 明治二年の英国王室来日の際、外国交際の儀式用の曲として、急場しのぎで作られたのが「君が代」事始めだった。それ以来、国歌に決まり定着するまで、「君が代」は歴史の荒波をくぐりぬけてきた。それは日本の近現代史そのものと見える。日本という国柄を考える時に、世界最古の歌詞をもつ国歌である「君が代」は、実に恰好の対象なのではないか、と本書を読んで思った。「平和」といった固定観念が付着してしまった憲法よりも、それは生きた歴史の教材なのではないだろうか。

 若い著者は本書の最後で二十一世紀型「君が代」を提言している。百戦錬磨の「君が代」を国歌として認めるが、斉唱までは要求しない。「聴く国歌」として運用しよう、と。

 それを読んで私は、一年前に大相撲千秋楽で歌ったことをやっと思い出した。国技館では裏声ではなく、地声で歌った。それもずいぶん小声だったことを。

[評者]平山周吉(雑文家)

2015年10月号掲載

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