火蓋が切られた中日「落合GM」と「谷繁監督」の仁義なき戦い

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 広島にやくざはふたつもいりゃあせんのじゃ――。映画の台詞にこうあるように、仁義なき戦いと言えばかの地である。ところで、ストーブリーグの季節を迎えた球界でホットなのが名古屋が本拠の中日ドラゴンズ。他ならぬ落合博満GM(61)と谷繁元信監督(44)のあいだで、火種が燠(おき)のようにくすぶっているのだ。

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 寺山修司は、キャッチャーは悲しいポジションだと言うのである。

〈彼は、鉄仮面を顔にはめられて、いつも便所で用を足すときのようにしゃがんでいなければならない〉

 としたうえで、こう継ぐ。

〈キャッチャーだけは、土の上にチョークでかこまれた領域を出ることができない。それは、野球のルール(守備)における、もっともサディスティックな役割である〉

 とはいえ、捕手との兼任が今季で解かれ、“チョークでかこまれた領域”からも解放されたというのに、谷繁監督は、“サディスティック”な役回りを依然として務めているのだ。例えば9月末の夜のことである。

「戦力外通告を受けた中堅選手が名古屋市内の居酒屋で食事をしていたら、偶然、監督がやってきましてね」

 と、さる球団関係者が次のように打ち明ける。

「その元選手が、“引退することになり、どうもお世話になりました”と頭を下げたんですが、監督は“?”と二の句が継げなかった。要するに、彼が辞めることすら知らされていなかったということ。監督はヘッドコーチの森さん(繁和)に電話して質(ただ)したところ、“そういうことだ”と、一方的に切られたそうです」

■3度の直訴

 運動部デスクが後を受けて解説する。

「実は森さんは、落合監督時代に投手コーチとして絶大な信頼を得て、選手起用を全面的に任されていた。2011年、落合さんの監督辞任と同時に退団するも、2年後の『落合GM』誕生時に、現職として招聘を受けたというわけ。それで以前同様、森さんがスタメンを決め、谷繁さんにはそれを書いた紙を渡すだけだった。が、自分の色を出したい谷繁さんは、それを疎ましく感じていたのです」

 そこで、谷繁監督が白井文吾オーナーに、〈オレの思い通りにやらせてください〉と直訴するに至ったのである。GMのお株を奪わんとするオレ流宣言だったわけだが、これを聞きつけた落合・森連合はヒートアップ。

「谷繁さんの契約は17年まで残っているにもかかわらず、“5位に終わった低迷の責任を取るべきだ”ということを、ふたりはにおわせ始めた。これを伝え聞いた監督が再びオーナーに直訴したもんだから、“谷繁ってかわいくないね”とふたりは呆れたのです」(同)

 むろんコーチ人事にも“戦い”は波及しており、

「今シーズン限りで引退した小笠原さん(道大)の2軍監督就任が先日決まりましたが、これはGMの方針。日本ハム時代から師弟関係にあり、“ホームランの打ち方を教えてやったのはオレ”とGMが話しているほど。で、割を食ったのが、数少ない谷繁シンパのひとりである佐伯(貴弘)前2軍監督なのです。もっとも、谷繁さんは佐伯さんの処遇を求め、オーナーへ3度目の直訴をしたと言います」(同)

 柿くへば鐘(ゴング)が鳴るなり名古屋城――。

「ワイド特集 唇寒し秋の風」より

週刊新潮 2015年10月29日号掲載

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