五輪3大会を制覇した「砲丸職人」の気骨
訃報で「世界一の砲丸職人」と称えられた辻谷政久さん。9月20日、急性心筋梗塞のため他界。享年82。
1996年のアトランタ五輪以来、シドニー、アテネと男子砲丸投げの全メダリストが、彼の手による砲丸を使っていたというから、なるほど「世界一」である。
「砲丸は競技場に置かれた数社の公式球から選手が自分で選びます。重心が真ん中からわずかにずれているだけで1~2メートルも飛距離が違う。選手は持つとすぐに辻谷さんの砲丸の優秀さがわかった」(陸上担当記者)
砲丸の重さは7・26キロ。砲丸に成形される鋳物の鉄球内部は場所により密度に違いが出る。旋盤で削る際、音、球面の光沢、指先に伝わる感触で、重心を球の中心に合わせていく。辻谷さんのような熟練にして、最後は勘というほどの神業である。
「他国の砲丸は、重心を調整するために、穴を開けたり鉛を詰め込んでいた」(同)
辻谷さんは父親が営む自動車部品の下請け工場から一転、1959年、26歳で辻谷工業を創設。ゴルフクラブやキャンプ用テントをいち早く手がける。「リーダーズ・ダイジェスト」誌を読み、アメリカでの流行をキャッチしていたのだ。
家族経営の工場で精密な砲丸を作り、世界は驚愕。アメリカ企業は破格の報酬で技術提供を求めたが、日本で世話になった仲間がいるからと固辞したとは清々しい。
「2008年の北京五輪では、スポーツに政治を持ち込む中国に疑問を感じ砲丸の提供を断る。12年のロンドンでは、高齢により納得できる砲丸作りが難しいと身を引き、惜しまれました」(同)
男子砲丸投げの世界記録はランディー・バーンズの23メートル12センチ。日本は畑瀬聡の18メートル78センチ。こちらの世界一は望むべくもない。