【中国「スパイ容疑」で邦人拘束】「公安調査庁」が点数を稼ぎたいのは不要官庁の劣等感
今回の問題で図らずもスポットライトを浴びた公安調査庁、通称「公調」は、一般の方にとって必ずしもなじみ深い組織ではない。果たして、公調とは如何なる組織で、今回の問題の背景には何があるのか――。
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「公調も大変だよね。昔は主に共産党を監視しているだけで良かったけれど、今はせっせと情報を上に上げないといけないから……」
そう囁くのは、公調の協力者の1人である。
「なぜそんなに点数を稼ぎたいのかといえば、頑張っているところを見せておかないとすぐに“不要官庁”という批判が蒸し返されてしまうからですよ。今回の問題の背景にも、そうした“劣等感”があったのかもしれません」
約1500人の職員を擁する公調は法務省の外局に位置する行政機関で、設置されたのは1952年。きっかけは、破壊活動防止法(破防法)の施行である。
「破防法に基づく団体の規制に関する調査、処分請求事務を行うことが、公調の本来の業務。ですから元々は情報機関というよりは調査機関といったほうが正しく、警察のような捜査・逮捕権も持っていません」
と、説明するのは公安事情に詳しいジャーナリスト。
「公調の源流は、1945年9月に旧内務省に設置された“調査部”にさかのぼります。この部は翌年、局に昇格。47年、内務省が廃止されると総理庁に移管され、48年には当時の法務庁に移されて特別審査局となりました。この特審局が、破防法施行と同時に公調として再発足したのです」
こうしてスタートした公調だったが、数十年後、逆風にさらされることになる。
「80年代から90年代にかけて、“公調不要論”というのが出てきたのです」
とは、ジャーナリストの野村旗守(はたる)氏。
「元々、公調は共産党を監視することを主目的に生まれた組織です。が、その共産党が大人しい組織になってしまい、それなら共産党対策のための公調も要らない、税金の無駄遣いだという声が出てきたわけです。対する公調は、左翼過激派だけではなくカルト教団などにも監視対象を広げることで、自らの存在意義を維持しようとしてきました」
90年代半ばにはオウム真理教が一連の事件を引き起こし、99年には「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」が成立。公調のオウム関連施設への立ち入り検査は、これに基づいて行われている。
「公調には強制捜査権がないので、情報収集は、外部のエージェントを使って情報を取る“ヒューミント”がメインになる。今回の問題で分からないのは、拘束された人に対し、公調が直接情報収集を依頼していた、と報じられていることです。情報機関とエージェントの間に民間会社などをかませて両者の繋がりを断つのが基本中の基本。なぜそれを省いたのか大いに疑問です」(同)
不要論を払拭しようと無理をして、逆に墓穴を掘ってしまったのか。