日本海軍の知られざる実像/『海軍の日中戦争:アジア太平洋戦争への自滅のシナリオ』

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 一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」の展開を跡づける。更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二~四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れている。

[評者]山村杳樹(ライター)

2015年9月号掲載

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