腎臓がんに打ち克った「小西博之」の後半生

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帰宅後、泣き叫び大暴れした

 超音波(エコー)検査の画像を見た医師の顔が引きつった。「大学病院で精密検査を受けて欲しい」と渡された紹介状は異様に分厚かった。

「がんに違いない!」

 帰宅後、自室で大暴れした。泣き叫び、手近にあるものを投げ、蹴り、壊した。5時間ほどひとしきり荒れたあと、我に返ったとき頭に浮かんだのは、大学時代の恩師による〈夢を実現させたければ、具体的に、楽しいことを思い描くんだ〉という言葉。さらに、〈人生はイメージしたとおりになる〉という、師匠・萩本さんのアドバイスだった。

 そのころ小西さんは、学生相手の講演会にしばしば呼ばれ、恩師たちの言葉を引きながら、〈前向きに生きよう〉と繰り返していた。

「人にさんざん言っておいて、それを自分がやらないでどうするんだ! と自分につっこむ気持ちが強かった」

 彼は退院後の目標を定めることにした。そのひとつが、『徹子の部屋』に出ることだ。

「テレビでがんの傷あとを誇らしげに見せている、そんな自分をイメージしたんです」

 検査の結果、縦20センチ、横13センチとかなり大きく、転移の可能性が高い末期がんだとわかった。だが、そういった悪い状態さえも、話のネタになると喜ぶ自分がいた。

「体は病気でも、気持ちまで病気になってはいけない」

 という意志のもと、病室を出るときにはパジャマをジャージに、スリッパを運動靴に替えた。気分が明るくなるよと、他の入院患者に勧めたりもした。

「もちろん僕だって、弱い自分をどこかで抑えていたんです。だから、時々“不安なコニタン、出ておいで”と言って泣きました。告知から退院後数週まで3日に1回のペースで。お風呂で1時間ほど泣いたら、疲れてよく眠れるんですよ」

 手術は成功。病理検査の結果、奇跡的に他臓器への転移は認められず、リンパ節は腫れているが、がん細胞は採取されなかった。手術から5カ月後にはイメージ通り、『徹子の部屋』への出演も果たした。

 現在は俳優業のかたわら、「夢は叶う」などをテーマに日本中を講演して回る日々である。

小西博之
1959年和歌山県生まれ。『欽ちゃんの週刊欽曜日』、『ザ・ベストテン』などで活躍。小学生から大学まで野球漬けだったが、それ以降はラグビーに熱中

西所正道(にしどころ・まさみち) 1961年奈良県生まれ。著書に『そのツラさは、病気です』、近著に、がんを契機に地獄絵に着手した画家を描いた『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2015年10月15日神無月増大号掲載

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人の後半生」より

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