がんに打ち克った「ピーコ」の後半生

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 タレントでファッション評論家でもあるピーコさん(70)も、がんを患ったことで、「生かされた命」という意識が高まったようだ。

 ピーコさんの左目に、「マリグナント・メラノーマ」というがんが見つかったのは1989年、44歳のときだった。

 原稿用紙の横の罫線が跳ねたように見え、物が実際より小さく映るのが気になった。それにしても30万人に1人の割合という希少ながんである。そう簡単に病名は特定されない。

 まず、7月にかかった眼科は「結膜炎と老眼と乱視」だと言う。翌月、熱海にある知人のクリニックで人間ドックを受けた際、紹介された眼科医は網膜剥離と診断した。だが、知人の医師は何か思うところがあったのだろう、評判の高い佐伯宏三医師(当時、小田原市立病院)の受診を勧めた。

「行ったのは佐伯先生の診察日じゃなかったんだけど、偶然いらして診てくださった。そしたら悪性腫瘍だって。珍しい病気だけど、先生はその症例を診たことがあったから、正確な診断ができたのね」

 視神経は脳と直結しているので、手当てが遅れると脳から全身へ病気が広がってしまう。佐伯医師はこう言った。

「僕は失明させないように、見えるようにするために仕事をしているから、眼球を取るのは嫌なんだけど、放置すると命をなくすから」

 優しさがこもった言葉に、ピーコさんは左眼球の摘出をすぐさま決めた。それ以降も現実を淡々と受け止めていたのだが、家族に知らせたときには涙があふれた。

 2人いる姉のうち、上の姉は「神様、目が欲しいのなら1つだけあげましょう。でも、これ以上はこの子から何も取らないで」と背中をさすり、脊椎カリエスで体が不自由な下の姉も「私の目を代わりに」と言ってくれた。

 ピーコさんは嗚咽した。

 友人たちのやさしさも心にしみた。

 女優の吉行和子さんは連日、都内から入院している小田原の病院まで弁当を持ってきてくれた。

 タレントの永六輔さんらはきれいな義眼を贈ろうと、カンパを募ってくれた。応じた約300人のリストを見てはっとした。ピーコさんが好きでない人物の名前があったのである。

「それまでの私は、自分のことばかり考えて、ささいなことに怒ってばかりいたのね。でもこんなに自分のことを考えてくれている人がいた、自分は生かされているのだということがわかったの。だから自分ができることで、誰かのためになるのなら、精一杯やろうと思うようになりました」

 シャンソンを歌い始めたのもがんになったから。

 術後、何もやることがないとき、永さんから、

「何でもいいから習い事をした方がいい」

 と助言されたのだ。

「シャンソンは歌が上手、下手より、思いを伝えることが大事。私の歌で泣いてくれたり、少しでも気持ちが軽くなってもらえたら嬉しい」

 そしてこう付け加える。

「がんのサバイバーは、変わるわよ」

 人は運命を変えられないが、運命は人を変えると言う。運やめぐり合わせで助けられた命に感謝するように、誰かのためになろうとしているのである。

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人の後半生」より

ピーコ
1945年神奈川県生まれ。ファッション評論家、シャンソン歌手としての顔もある。映画評論家の「おすぎ」は、一卵性双生児の弟である。

西所正道(にしどころ・まさみち) 1961年奈良県生まれ。著書に『そのツラさは、病気です』、近著に、がんを契機に地獄絵に着手した画家を描いた『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2015年10月15日神無月増大号掲載

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