乳がんに打ち克った「内海桂子」の後半生

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 人が老いるのは年齢を重ねたときではなく、理想を失ったときだという言葉がある。だが、理想のみならず“ときめき”を失わずにいることの効能を、この人は教えてくれる。

 83歳まで健康保険証を使ったことがなかった漫才師の内海桂子さん(93)が、右胸に痛みを感じたのは、2007年6月のこと。俳優・織田裕二さんとハグしたときだった。

漫才師の内海桂子さん

「ドラマで共演した“織田裕ちゃん”が、撮影の終わりに“お疲れ様でした”と花束を持って駆けつけてくれたわけ。私、いい男大好きだから、正面から抱きついちゃった。そしたら抱っこしたままぐるーっと回してくれてね。嬉しかったんだけど、胸が痛かったの」

 4カ月後の映画のロケ。おぶわれるシーンでも、右胸に痛みが走った。触れるとシコリがあった。

 撮影が終了してすぐに病院を当たったが、患者が多くて予約もままならぬ状態だった。諦めかけていたところ、2年前に転んで右手首を骨折したときにかかった聖路加国際病院に連絡すると、診てくれるという。

 検査の結果は乳がん。しかし動揺することもなく、淡々と告知を受けたのだった。

「“オッパイなんてもういらないから、取ってしまってください”と言ったの。仕事が忙しかったから、悪いところを取って早く現場に戻りたかったのよ」

 手術は1時間半で終了。転移もなかった。それに気をよくしたのか、内海さんは、夫でマネージャーの成田常也さんに、

「きょうだけはオッパイ揉んじゃだめよ」

 としなをつくってみせては、医師たちから笑いをとった。漫才師の面目躍如である。また、こんな逸話もある。

 成田さんが病室のベッド脇で酒を飲もうとしているのを麻酔から覚めた内海さんが見つけ、「一杯ぐらいいいじゃない」と言って、2人で飲もうとしたところを医師に見られ未遂に終わった……。

 その一方で頑固な一面もある。痛みがあるのは当然と鎮痛剤の服用を拒否したり、車椅子を勧められても、「内海桂子が車椅子に乗っていると、もう終わりだと思われるから」と杖をついて歩いた。

「私は『内海桂子』の看板を背負ってきたから。“内海桂子はこうあらねば”という意思を通してきました。甘ったれていられない、と自分に課しているわけね。そういう意気込みってものが、病気のほうにも伝わるんじゃないかな。だからシャキッとするわけですよ。でもさ、私はつくづく運がよかったよ、初期で見つかって」

「特別読物 がんに打ち克った5人の著名人の後半生」より

内海桂子(うつみ・けいこ)
1922年東京都生まれ。「内海桂子・好江」として活躍。1982年、漫才師初の芸術選奨文部大臣賞など数々の賞を受賞。好江は97年に死去。

西所正道(にしどころ・まさみち) 1961年奈良県生まれ。著書に『そのツラさは、病気です』、近著に、がんを契機に地獄絵に着手した画家を描いた『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2015年10月15日神無月増大号掲載

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