復元された古代のDNAが示す事実/『ネアンデルタール人は私たちと交配した』
本書は、早熟で、誠実なスウェーデン生まれの分子生物学者が、若き日の志を保持しつづけることによって、あまたの研究上の困難、外野の雑音などに妨げられることなく、ついにネアンデルタール人のゲノム解読という大きな結実を手にするまでの、きわめてハッピーな学問的半生記である。それにしても研究者にとって誠実さとは何か。思うにそれは、困難をウヤムヤのままにしないということであろう。
古代生物の遺伝子解読がブームになり始めた頃、映画「ジュラシック・パーク」ではないが、一種の古さ競争が起こり、琥珀に閉じ込められた中生代生物のDNAまで、研究の対象にされかけたことがある。しかし「エジプト学と分子生物学の合体」を夢見て、ミイラの遺伝子分析から研究生活を始めた著者によると、生物の遺伝子は時間とともに微生物によって分解されるのを免れない。結局どんな試料を得ても、目にするのは微生物か採取時に触れた人間の遺伝子のみといった事態になりかねない。放射線・宇宙線の影響も無視しがたい。安定的に遺伝子が確保できるのはせいぜい数万年前までで、ジュラ紀などとてもとても。そこで著者らはできそうにないことは潔く諦め、剥製や遺物の残る比較的新しい絶滅動物で遺伝子確定の技量を磨く。おかげで自然史博物館が貴重な遺伝子バンクに一新したのは周知の通り。
そうした準備段階をへて、満を持すかたちでネアンデルタール人研究が始まる。じつは著者はポスドク時代を、ミトコンドリア・イヴ説や人類のアフリカ単一起源説で有名なアラン・ウィルソンの下で送っている。従ってネアンデルタール人研究も最初はミトコンドリアDNA(mtDNA)を用いてなされ、まずは現生人類との無関係が推測された。が本当に無関係か否かは細胞核のDNAを子細に検証するしかない。というのもmtDNAは女子を通じてのみ伝わるから、痕跡の残らぬことも大いにありうるのだ。
徹底した汚染物・付着物の排除。DNA片を複製する技術上のブレークスルー「PCR法」の確立などによって(もちろん、いやになるほどの失敗例を重ねたあと)、いよいよ著者らによるネアンデルタール人の核DNAの解読が完了する。その際、付言されたのはネアンデルタール人は現代アフリカ人とは遺伝子の共有部分を持たず、かえってヨーロッパ人、アジア人、オーストラリア人との間に持っているというもの。つまり十万年から五万年前、アフリカを出た現生人類の祖先が中東方面でネアンデルタール人と出会い、交配し、その後各地に拡散していったというのだ。共有部分には免疫系の遺伝子も含まれ、現代人はある種の病気への抵抗性もネアンデルタール人から受け継いでいるらしい。