二度目の東京五輪は喜劇として――小田嶋隆

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■良くない意味の「ひとつ」に

 私の見るところでは、エンブレムをめぐる騒動がそれに当たる。われわれは、あきらかに「ひとつ」になりつつある。それも、良くない意味で。

 佐野研二郎氏による公式エンブレムのデザインが、例の騒ぎになったベルギーの劇場のロゴデザインの模倣であるのかどうかという点に限って話をするなら、あれは、「シロ」だと思う。

 ただ、今回、五輪組織委員会が、公式エンブレムを取り下げざるを得なくなったのは、エンブレム自体の瑕疵や不出来というよりは、そのエンブレムのデザインを担当した佐野氏に集中したスキャンダルに屈したからだと見るべきだと思う。作品はともかくとしても、作者の評判があまりにもひどいので、委員会として擁護しきれなくなったというわけだ。

 一連の騒ぎを見ていると、確かに、佐野氏の作品の中には、本人が自ら認めているものも含めて、複数の模倣や剽窃が存在する。デザイナーとしてあり得ない態度だ。が、それでも、私は、今回のエンブレム取り下げ騒動は、異常だったと思っている。何が異常だったのかというと、人々が、五輪に関わる関係者に一点の曇りもない清潔さを求めたことだ。

 佐野氏の過去の仕事を検証するネット上の運動は苛烈を極めた。

 そんな中で、いくつかのトレースやコピペが発覚したわけだが、私は、明らかなトレースが発覚した後でも、なお、佐野氏を全面的に責める気持ちにはなれなかった。なぜなら、あのネット民を挙げての画像検索作業は、そもそも集団ヒステリーであって、彼らが成し遂げた仕事としての「佐野研二郎パクリ疑惑ライブラリー」そのものも、これから先、仔細に検討すれば、おそらく、大きな部分は、集団ヒステリーの結果による、リンチ記録ということになる気がするからだ。

 あの種の運動に熱中する人々は、「正義」の感情に駆られて個々の作業に従事している。「インチキ野郎」であり「コピペ人間」であり「カネとコネとマネの結晶」であり、「おいしい」ところを「うまうまと」いただくことだけで生きてきて、パクリの指摘にも居直った「盗人たけだけしい」稀代の悪人たる佐野研二郎を断罪し、彼の社会的生命を断つのに貢献できるのであれば、どんな小さなものでも見逃さない決意を胸に、彼らはデータを収集している。

 だからこそ、またたく間にあれだけのライブラリーが完成したわけだ。

 が、あのライブラリーは、たとえひとつひとつのネタが、「事実」を含んでいるのだとしても、総体として、佐野氏に不利なネタだけを集めている点で、非常に悪質な印象操作だし、そうでなくても、不公平なデータではある。

 よく似た例に、「フジテレビ韓流ゴリ押し疑惑」のデータ集というのがある。

 これは、ある日、フジテレビの番組に韓国寄りの内容が目立つことに気づいたネトウヨと呼ばれる人たちが、過去の放送を含めて、フジテレビ系列で流された番組の画面を虱潰しにして、その中から韓国を賞賛していたり、韓流アイドルの美しさをたたえていたり、韓国料理のヘルシーさを宣伝していたり、あるいは韓国と比べて日本の現状をクサしているように見える部分を大量に収集した画像集だ。これを見ると、フジテレビの韓流推しの凄まじさに驚愕する。はじめて見た人間は、実際に、韓国のさる筋とフジテレビが裏で繋がっているという彼らの説を信じてしまうかもしれない。

 が、これは、何十万時間という放送データの中から、韓国賛美の部分のみをピックアップしたからこういうデータ集ができたということに過ぎない。

 たぶん、日本賛美の画像を集めればそれなりのものが出来ただろうし、アメリカ賛美の画像だって、本気で集めればとんでもない質と量のデータが収集できたはずだ。つまり、大勢が一丸となってとりかかれば、かなりとんでもないことができる、ということだ。

 しかも、うちの国の人間は、一丸となって何かに取り組むと、ほとんどの場合、道を誤ることになっている。

 愛国を叫び団結を謳っているうちはまだたいしたことはない。が、じきにそれは、「非国民」を吊し上げる運動に発展し、団結に与さない人間を村八分として排除する心性に結実する。

 佐野研二郎氏に対して発動されていたリンチは、そういう成分を含んでいたと思う。この先、五輪の本大会が近づくにつれて、公式キャラクターが決まり、開会式に関わるメンバーが発表され、聖火ランナーが内定することになる。

 と、われわれは、その場所に名を連ねた人間のあら探しをするようになる。で、何か不都合なネタが見つかるや、その人間は吊し上げに遭うことになる。

 大事件は二度起こる。

 ということはつまり、翻訳すれば、われわれはまたしてもやらかすだろう、ということだ。

 大事件は二度起こる。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として……とは、ヘーゲルとマルクスの「合作」だが、私たちは、誰も笑えないと思う。

 まあ、私は片頬で笑うつもりだが。

小田嶋隆(おだじま・たかし)
1956年東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒。食品メーカーの営業マンを経て、テクニカルライターの草分けに。著書に『もっと地雷を踏む勇気』『小田嶋隆のコラム道』『ポエムに万歳!』等。

新潮45 2015年10月号掲載

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