二度目の東京五輪は喜劇として――小田嶋隆

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 前回の東京オリンピック(以下「五輪」と表記)が開催された1964年、私は小学校2年生だった。

 いまとなっては、実際に自分の目で見たのか、それとも報道や映像から後付けで捏造したものなのか、はっきりしないのだが、ともあれ、私のアタマの中には、晴れ渡った秋の空に5つの円の軌跡を残して飛ぶジェット機の映像が、鮮やかに録画されている。私は、その映像を、随時、脳内再生することができる。

 かように、五輪の記憶は、私の世代の者にとって、輝かしく、美しく、なつかしい、ほとんど夢自体と区別のつかない体験に連なっている。

 しかしながら、2020年の五輪を東京で開催することに、私は、招致運動がスタートした時点から、一貫して反対の意向を表明してきた。理由はおいおい述べる。2013年に招致が決定した後でも、反対の気持に変化はない。開催決定以来、私は、五輪をめぐるメディアの空騒ぎに食傷し、五輪をあてこんだ商売のあざとさを憎み、五輪をネタに何かを企む五輪ゴロの暗躍に間断なく心を痛め続けている。そんな私にしてからが、心の奥底では、どこかしら、五輪を待望していたりする。それほど、幼年期の記憶というのは、度し難いものなのだ。

 私と同世代の人間は、誰でも、ある程度、同じ気持ちを抱いていると思う。

 もっとも、誰もが同じ記憶を共有しているわけではない。記憶へのスタンスの取り方も、人それぞれで、少しずつ違っているはずだ。

 が、ひとつだけ共通しているのは、誰にとっても、過去の記憶は美化されがちだということだ。子供時代に経験したあれこれは、貧しさやひもじさや悲しみも含めて、すべてが、なつかしい思い出に化けることになっている。柿の木の枝先にとまった蝉を取ろうとして転落したことや、道路脇のドブ川で泥だらけになったことも、その悲劇から50年を経過した年寄りにとっては、宝物のような思い出に変貌している。ぞっとするほどマズい脱脂粉乳のミルクが供される給食や、アメリカシロヒトリの幼虫を踏みつぶした時に出る薄緑色の体液さえもが、だ。

 そんな中で、東京五輪にまつわる記憶は、ひときわ鮮やかに輝いている。これはどうしようもない。

 私が懸念しているのは、私と同世代か、それより上に属する年齢の人間たちが、「日本が若くたくましかった時代」「日本人がひとつになっていた時代」というニセの記憶を呼び覚ますためにイベントとしての五輪を消費する近未来だ。

 それは、間違っている。

 というよりも、狂っている。

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