忘れ得ぬ人々との確かな思い出/『天野さんの傘』

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 懐かしい人との忘れがたい時間について、記憶の井戸を掘り進むようにして書かれたエッセイ集である。

 収められている十一編は、どれもそれほど長いものではない。それなのに、文中に引かれる言葉に導かれて、実際の分量の何倍ものふくらみのある文章を読んだ豊かな気持ちになる。未知の世界の扉が次々に開いて、遠い昔の時間が再び流れ出す。

 細い声の、けれんみのない文章の美しさは、ふしぎな妄想の力によって、さらに味わいが深くなる。

 雨の日に、かつての教え子と再会する場面から書きおこされる表題作では、親しくしていた詩人の天野忠の香典返しでもらった傘が妄想をふくらませるきっかけとなる。

 あるとき、「傘仲間」だと信じていた共通の知人にその傘を見せたところ、「そんなもの、ぼくもらってませんよ!」と言われてしまう。そもそも香典返しに立派なこうもり傘が届いたことに、奇異な感じは受けていた。それぞれに違う品物を送ったのか、香典返しにもらったということ自体、思い違いなのか……。

 ごくごく小さな、この日常のなぞを、著者は根気強く探り当てていく。その手続きは慎重で、どこかユーモラスでもある。調査の結果、やはり香典返しの品だったとわかると、こんどは、なぜ傘が贈られることになったか、生前の天野氏と夫人との間でかわされたであろう会話について思いが飛んでゆく。

 記憶の中から再現される声が、どれもじつに魅力的だ。「うん、この自転車は電動式でね」と、電動式であることを恥じるように笑う歴史家松尾尊兌。「結婚っていいものやで」と、冷やかすように、照れたように言った、フランス文学者の黒田憲治。なにげないが、その人となりをあらわすつぶやきが拾われている。いちども会ったことがなくても、その人の声だと思わせるたしかさがある。

 シャーウッド・アンダスンに傾倒した米文学者大橋吉之輔との交流を描いた「ある〈アンダスン馬鹿〉のこと」、無名の死者をよみがえらせる作業に力を尽くす作家の人生を語る「富士正晴という生き方」など、読み終えてあたたかい気持ちにみたされるが、同時に苦みも残る。注意深く書きこまれたその人の影が、印象をひときわ濃いものにしている。

 自分自身について書かれた「裸の少年」の印象も強い。著者が海軍兵学校予科を受験し、不合格になった経緯を初めて知った。受験時の体重が三十五・五キロだったとは。そのときの古い写真が残っているそうだが、「気を付けの姿勢をとった裸の少年」はいまも著者の中に生きていて、周囲と、自分自身とを静かに見ているのだと思った。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

2015年9月号掲載

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