言論統制の生々しい実態/『戦争と検閲――石川達三を読み直す』
本書は第一回の芥川賞を受賞した社会派作家・石川達三の『戦争と検閲』をめぐる官と民の攻防の物語である。
芥川賞受賞の二年後、昭和十二年に支那事変が起きる。石川は自ら従軍取材を希望し、「中央公論」の嶋中雄作社長から「現地報告よりも小説を書く目的で行って貰いたい」と激励される。「現地報告」とは今でいえばルポルタージュ、当時の新聞雑誌には大陸戦線からのその種の記事が溢れかえり、争って読まれていた。新進作家と一流出版社の野心が結実するのが小説『生きている兵隊』だった。
石川は年末に出発、上海、蘇州、そして陥落一か月後の南京を二週間かけてまわり帰国、修善寺の温泉にこもって約二週間で三百三十枚の長編を書き上げた。脱稿は締切りを三日も過ぎた二月十二日未明、「中央公論」三月号の発売日が十九日だから、綱渡りのタイミングで、ホットな問題作が雑誌を飾るはずだった。
発売日当日の新聞広告には、「創作に事故あり、陣容を新たにして近日発売! それまで御待ちあれ!」とあって、石川達三の名前はない。「特集・戦時第二年の日本」や毛沢東「中国共産党の抗日戦略」と並ぶ雑誌の柱が消えた事情は、同じ日の別の紙面で明らかになる。「当局の忌諱に触れて」発売禁止となったのだ。「中央公論では取敢ず指摘されたものを全部削除して発行すべく当局と交渉の結果近日発売を許される模様である」、これが「創作に事故あり」の概要である。
戦前の言論統制事件として有名な、この『生きている兵隊』発禁の経緯を、本書は石川の遺族の手に残された裁判記録や、編集者に届いた他の執筆者たちの手紙などを使って、同時代の空気を再現しながら描いている。著者の河原理子は朝日新聞の記者であるが、「検閲でやられた」「抵抗した」という俗耳に入りやすい紋切型記事とは違う「灰色」の現実を直視しようとしている。であるから当時の「中央公論」編集長・雨宮庸蔵の回想の以下の部分に注目する。
「検閲制度があったころは、エロチシズムから思想面にいたるまで、検閲をとおるか通らぬかのギリギリの線まで編集の網をなげることによって、よい雑誌、売れる雑誌がつくれる、という気概と商魂とが一貫していた」
そのギリギリを求めて、突貫作業で伏字に変えてゆく。「昭和四年小林多喜二の『不在地主』掲載の際、大鉈をふるって発禁を免れたことなど思いだしながら」、これなら大丈夫と判断していたわけだ。担当編集者の佐藤観次郎は、昭和九年の「荷風先生の小説『ひかげの花』以来」の慎重さで点検した。発行人の牧野武夫は戦争に伴う罪悪の描写にショックを受けるが、冷静になって「これはとても通らない」と直観する。輪転機を止めて鉛版を削り、さらに伏字部分は大幅に増えた。その措置はかえって裏目に出る。検閲用に提出した雑誌と違う版が書店に出回るという事態が、当局のいっそうの不信を呼び覚ましたのだ。
その後の顛末は、警視庁検閲課が作成した「聴取書」や石川達三の日記からわかる。日記には「文壇にセンセーションを起す筈であった」と口惜しさが書かれ、中公の損失は三万円、原稿料七百余円辞退、出版も映画化も駄目になり、「当分謹慎の意を表しなくてはならぬ事にさえもなった」と記されている。この日記は遺族が古書店から買い戻したもので、「特高が持ち出したのではないか」と遺族が疑っているものである。
休職となった担当編集者の佐藤観次郎は、三月十日には主計少尉として召集され大陸に送られるから、懲罰召集の可能性も高い。石川や雨宮は新聞紙法違反で起訴され、「安寧秩序を紊乱」したとして有罪となる。『生きている兵隊』はすぐに中国語訳が出て、反日宣伝に活用される。「中央公論」の発行部数は七万三千部、そのうち四分の一は差し押さえをまぬがれ流通していたのだった。
言論統制の生々しい実態は『生きている兵隊』の攻防戦だけでもよくわかってくる。しかし、本書は視野をその前後にも拡げ、小説家・石川達三とメディアの戦前戦後にわたる「言論の自由」への闘いを描き出している。たとえば、石川の芥川賞受賞作『蒼氓』が同人誌発表時、受賞作として「文藝春秋」掲載時、さらに改造社の単行本と、念入りに伏字が増えていく過程を検証している。「軍部の圧力の強さなど、空気の変化」を各編集部が読んでいるのがわかる。「検閲とは、自己規制を促す装置なのだ」と、正義派の著者によって喝破されるのだ。
ただ、その考察が時として鈍ることがあるのが惜しまれる。あとがきで謝辞を送られ、参考文献にも掲載されている山本武利『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』(岩波現代全書)という本がある。その中で、朝日の出版局長・嘉治隆一が社内報で、GHQの検閲が事前検閲から事後検閲に移行したことをうけて、「各自の心に検閲制度を設けることを忘れるな」と、自己規制の徹底を周知させた事実が紹介されている。『戦争と検閲』は戦後の言論状況もカバーしているのだから、『蒼氓』の伏字の変遷をたどった著者は、当然この指摘にも本書の中で応える必要があるだろう。
石川達三に対しても、鈍る部分がある。執行猶予の有罪判決が出た直後、石川は中央公論特派員として再従軍の許可が出る。その時に書かれた『武漢作戦』を面白くない作品だとして考察の対象から外してしまうのだ。注意深く書いて「作家としての命脈をつないだ」『武漢作戦』にこそ、石川達三の「抵抗」と「蹉跌」があったのではないだろうか。
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