人を、風景を、空気をも変える読書/『文学の空気のあるところ』

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 語りの面白さに定評があり、ラジオ番組でも人気があった現代詩作家の講演集。難しい言葉はつかわず、聞く人の内側にすとんと入ってくるが、すぐには消化されない。牛のように何度も取り出して反芻したくなる、散文ではあるが詩のような言葉の数々だ。

 講演のテーマは、「昭和の本棚を見つめる」であったり「高見順の時代をめぐって」であったり。ほとんどが日本近代文学館の主催なので、テーマは本や文学のことに限られている。小説以上に現代人から遠い存在となっている詩歌の言葉を繰り返し取り上げているのもこの著者らしい。

 何かを言うときは必ず、具体性をもって語る。その着眼、数字へのこだわりが何とも独創的である。たとえば「山之口貘の詩を読んでいく」では、一冊の詩集に収められた詩の数が、明治、大正、昭和と時代をへるなかでどれぐらい少なくなっていったかの数字を挙げ、いまほど簡単に本を出せなかった時代、一冊の詩集を出すことに詩人がどれぐらい力をこめたか、を伝える。

 明治四十四年に出た北原白秋の『思ひ出』には百九十編も入っていた。いまはだいたい二十~三十ぐらい。山之口の第一詩集『思辨の苑』は五十九編で、生涯で出した詩集の数はわずか三冊だったという。ふつう文学者はこんなふうに詩の数を数えたりしないものだが、詩の個人出版社を主宰し、長年にわたり若い人の詩集を編んできた人だからこそ、つかむことのできた数字だと思う。

 地理の話題もたびたび出てくる。東京・田端文士村記念館での講演(「名作・あの町この町」)では、北海道から沖縄に対馬、お隣の韓国にまで地図を広げ、その上に文学の言葉を載せていく。芥川龍之介の短編「蜜柑」で、娘が車窓から蜜柑を投げるのは、横須賀駅と田浦駅の間だったとか、そんなことも教えられる。

 文学の言葉にすんなりなじむとはいえない数字や地理の情報は、断片を受け止めた相手の記憶に残り、次にそれらの作品に接したときの、ひとつの手がかり、足がかりになるだろう。

 言葉づかいはやわらかいが、「わかりやすさ」の方向になだれを打つ文学ジャーナリズムのありかたにかなり厳しい目を向けている。「売れているということに対して、新聞記者、編集者がよわくなっている」「いま読まれていないもの、関心をひかないものは何か。それを考えれば、逆にこの時代がどんな時代なのかが見えてくる」。

 全集の数が減り、新しい文学事典も編まれない。「文学の空気がまわりからうすれていく」なか、お仕着せでない、個人的な読書を守るにはどうすればいいか。確かな指針を与えてくれる本だ。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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