「寝屋川中1遺棄事件」の全真相 真人間を演じていた少年愛の「ホオジロザメ」
最も獰猛なホオジロザメの目には一切の表情がない。感情を表に出さず、いきなり人を襲うのだ。寝屋川で中学生2人を殺害した45歳の男は普段、軽いノリの真人間を演じていた。しかし、何度も犯罪を繰り返してきた目は笑わず、常に獲物を物色していたのだ。
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大阪府柏原(かしわら)市の外れ、JR関西本線の線路のすぐそばにある、鬱蒼とした竹林。1日、2日……と、線路の上を無数の電車が行き過ぎる間、竹林のそばに横たえられた星野凌斗(りょうと)くん(12)の小さな遺体は無惨に朽ちていった。8月21日午後7時36分に発見された遺体の顔面と左手首には粘着テープが巻きつけられており、
「全体的に腐敗が進んでいた。特に肩から上、頭の一部が白骨化していた」(大阪府警関係者)
行方不明時と同じ黒のTシャツ、7分丈のズボンを身に着けていたが、そのポケットから“奇妙な物”が発見されていたことはまだ報じられていない。
「見つかったのは、精液らしきものが入ったコンドームです。口の部分は括られていました」
と、府警関係者が囁く。
「犯行の証拠になる自分の精液をわざわざ残すはずはないから、他人のものだと見ています。つまり、犯人による偽装工作だろう、と。犯人は遺体を遺棄した後、遺棄現場に舞い戻っていますが、その時に精液入りコンドームをポケットに入れた可能性もある」
いずれにせよ、犯人、山田浩二は遺棄現場に舞い戻ったことによって墓穴を掘った。その時、すでに府警は容疑者として彼をマーク。行動確認中であったため、彼が立ち去った後、密かに竹林を捜索し、星野くんの遺体を発見するに至ったのだ。結果、約1時間後の8時22分に山田は逮捕されることに。8月13日夜、高槻市内の駐車場で遺体が発見された平田奈津美さん(13)に対する死体遺棄容疑である。
京阪寝屋川市駅近くの商店街の防犯カメラが平田さんと星野くんの姿を最後に捉えたのは、13日午前5時8分。山田が2人を軽ワゴン車に乗せたのはその直後とみられているが、2人が感じたであろう恐怖は想像を絶する。体を30カ所以上も刃物で傷つけられ、その一部は骨にまで達していた平田さん。山田が平田さんの体を切り付けるのをそばで見て震えていたか、あるいは、傷つけるのを手伝わされたかもしれない星野くん。2人は恐怖と絶望の中で命を絶たれたのだ。
では、山田はどのような手口で2人を車に誘いこみ、連れまわしたのか。この点、逮捕された山田が犯行について否認しているため詳細は判然としないが、
「山田は13年前の2002年にも少年を車に乗せて連れまわす事件を起こしている。捜査員は、今回の事件の手口は02年の時と同様だと見立てています」(府警担当記者)
02年当時、山田の姓は「渡利」というものだったが、まず中学2年の男子生徒に対する強盗、逮捕監禁の容疑で逮捕。さらに、別の17歳の少年2人に対する逮捕監禁、傷害容疑で再逮捕された。
「今回の事件のニュースを最初に見た時にアイツやとピンときた」
忌々しげに呟くのは、当時、被害にあった中学2年の男子生徒の父親だ。
「息子は“寝屋川市駅はどこ?”とアイツに聞かれて“あっちです”と答えたら首筋にナイフを当てられ、拉致された。車に連れ込まれた後は手錠をかけられ、口には粘着テープ。ズボンに手を突っ込まれて下半身を触られたり性的ないたずらもされた。で、4時間後に目隠しをされた状態で駐車場に放置されたんや」
幸い、彼はたまたま駐車場を通りかかった中学校の関係者に保護された。
「その後、息子と母親に対して、警察は性犯罪者のリストを見せた。で、息子が写真を見て、コイツやと言ったら警察官がバッと飛び出していったそうや」
と、父親は続けて話す。
「アイツは当時、前科8犯だったらしい。逮捕後、アイツの母親から手紙が来た。減刑を乞う手紙やのに、謝罪の言葉はなかった。刑事さんに相談したら、“減刑などさせん、10年はブチ込む”と言っていましたわ」
結局、懲役12年の刑が確定。服役を終えた山田が出所したのは昨年秋頃だ。福島県で除染作業員として働き、人並みにフェイスブックを始めた山田は一見、刑務所で改心して真人間に戻ったかのような平凡な日常について綴っているが、出所から1年も経たないうちに取り返しのつかない事件を起こしたわけである。しかも、平田さんの遺体を遺棄した2日後には千葉・幕張でカレーに舌鼓を打ち、フェイスブックには〈期待を裏切らない美味さ!!〉と記述。平然と日常生活を送るその姿には慄然とする他ないが、一体、どのような生い立ちを経て、人の心を完全に失うに至ったのか。
山田は寝屋川市に隣接する枚方(ひらかた)市出身で、両親と、6歳下の妹の4人家族だ。先に触れた通り、当時の姓は「渡利」である。
「小学生の頃からおかしな子どもだった。虫を殺して女の子にぶつけたり、みんなの上履きを隠して、ドブに捨ててしまったり。彼は当時、団地に住んでいましたが、住人がゴミ捨てのためにちょっとの間、部屋を空けた隙を見計らって上がり込んで物を盗むような子でした」
とは、小学校時代の同級生。小、中学校の先輩も、
「小学生の時からスーパーの商品を箱ごと万引きしたり、レジを丸ごと引きちぎってもっていったりしてた。カエルの皮を剥(は)いで喜んでたこともある。あいつは中学生の時、1年ほど鑑別所か少年院に入っていた。容疑は窃盗やと思います」
山田が中学生の時、一家は同じ枚方市内の一軒家に引っ越しているが、
「家を訪ねた時、あいつから大量のガンダムのプラモデルを見せてもらった。あいつ、ガンダムが滅茶苦茶好きで、ガンダムを語る時はハキハキ話す。でも、普段の話し方はトロい」
と、中学時代の別の先輩。
「中学を卒業した後は、高校には行かず、バイクで暴走してた。なぜか紫色のアイシャドウに口紅まで塗ってバイクの後ろに乗っとるんで、“気持ち悪いことすんな”と言ったら、笑ってごまかしてたな。“さくら会”とかいうチーム作って走ってることもあった」
その頃にはすでに、今回の事件につながる暴力性と異常性癖の片鱗が見られ、当時の仲間の1人は、
「私は渡利が10代後半の時から数年間、仲良くしていました。当時、彼は男性器にすごく興味があった。“チンチンしゃぶりたい”と言ってたのもよく覚えています。一方、女の子とも普通にセックスしていたので、いわゆる“両刀”だったのかもしれません」
として、こう語る。
「高熱のアイロンを仲間の皮膚すれすれまで近づけ、ヨダレを垂らすほど喜んで恍惚の表情を浮かべていたこともあった。カネは、繁華街で強盗したり、シンナーを売買したりして得ていました」
成人して以降の彼について、多くの同級生や先輩が、
「ヤクザっぽいことをやっている」という話を聞いているが、暴力団関係者によると、
「20代の一時期を京都刑務所か大阪刑務所で過ごした、と渡利本人は言ってたらしい。正式な組員になったわけではないが、薬物関係に強い組と深く関わっていたから、そっち方面の罪で捕まったこともあるのではないか」
山田の家族が枚方市の一軒家を売り、寝屋川市の分譲マンションに引っ越したのは2001年。先に触れた「少年監禁事件」を起こすのはその翌年、山田は32歳になっていた。
■「風呂釜の中で茹でられた遺体もある。生易しい仕事ではない――」【死の裏方を知る仕事師たち】
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