山本夏彦『夏彦の写真コラム』傑作選 「オリンピックまた来る」(2000年8月)
すでに鬼籍に入ってしまったが、達人の「精神」は今も週刊新潮の中に脈々と息づいている。山本夏彦氏の『夏彦の写真コラム』。幾星霜を経てなお色あせない厳選「傑作コラム集」。
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オリンピック騒ぎがまたはじまる。だれが騒ぐのか、新聞が騒ぐのである。甲子園の野球と同じである。戦前は甲子園の野球に東京は冷たかった。「出ると負け」だったからである。たいてい東京代表は早稲田実業か慶応商工だった。両校とも当時は大学へはつながらなかったから一段低くみられていた。それも一因で人気がなかった。
戦前の野球の人気は六大学リーグ戦にあった。ラジオの時代で松内則三(のりぞう)というアナウンサーがあらわれて以来甲子園野球は全国的になった。そのあとのスターが河西三省(かさいさんせい)だった。
オリンピック憲章には参加することに意義がある、勝敗は問わない、アマチュアに限る、政治に関与しないとあるがまっかなウソである。建前と本音がちがうのは日本人だけだと日本人は言うが、西洋人もこんなに違う。あんまり違うのでさすがに改めたらしい。
昭和七年夏第十回オリンピックはロサンゼルスで開かれた。この時勝ったのが騒ぎのはじまりである。ことに水泳の活躍はめざましく、百メートル背泳では一、二、三位(金銀銅)を、百メートル、千五百メートル自由形と、二百メートル平泳ではそれぞれ一、二位を占めた。
当時少年だった私はパリにいた。日本の新聞は大騒ぎしている、当地の一流新聞フィガロと見くらべたら、タリスというフランスの水泳選手が二等になっている。その記事は豆写真と共に冷静である。新聞は人体を模して作るのがいい、スポーツは人体の活動の一部である。二ページ見開きで書くのは正気の沙汰ではない。フィガロのタリスの扱いを見て私は恥ずかしかった。この狂喜は劣等感の所産だとまる見えだったからである。
オリンピックに新聞が大騒ぎしだしたのはこれ以後である。次回昭和十一年第十一回ベルリン大会では前畑秀子が二百メートル平泳でゲネンゲルを破って優勝した。このときのアナウンサーが河西三省で言うべき言葉を失って、前畑ガンバレ前畑ガンバレを二十三回連呼したという。以後がんばれは他の言葉を全部滅した。がんばれの代りに何と言っていたか誰も思いだせない。
ヒトラーが国威を発揚するためにオリンピックを利用したことは広く知られている。戦後はロシアが、次いで中国がそのまねをした。私はことさらオリンピックを意地悪い目で見ているのではない。ただあまりの狂態が恥ずかしかったのである。タリスが入賞しようがしまいが、記事はその場所を得なければならない。
競技は勝つことに意義があると故有吉佐和子が出ると負けの当時書いた。私はコマネチを見たときもいやな気がした。ソ連の体操の選手はみこびとんな小人(こびと)のように小さかった。うそかまことか大きくならない注射をしていると聞いた。何であれあれほどの人気と金が集まればいかなる組織も必ず腐敗する。サラマンチは興行師である。放映権やら何やらをせりあげるだけせりあげて、それをわが国は買ったのである。そして醜聞はあばかれたのである。それなのに辞職するかと思いきや平気で居すわっているのである。それをとがめる者もないから、主催者も見物も国もぐるだと思うよりほかないのが残念なのである。
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