山本夏彦『夏彦の写真コラム』傑作選 「正義は時に国を滅ぼす」(1983年4月)

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 すでに鬼籍に入ってしまったが、達人の「精神」は今も週刊新潮の中に脈々と息づいている。山本夏彦氏の『夏彦の写真コラム』。幾星霜を経てなお色あせない厳選「傑作コラム集」。

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 吉田茂元首相の半生が映画化されて評判になっている。テレビにもなるという。映画は戸川猪佐武原作テレビは猪木正道原作だから、脚本は違うが故人をほめていることにかけては似たところがある。

 けれども吉田はその在任中評判が悪かった。あれほど悪くいわれた首相はないほど悪かった。ワンマンだ、バカヤロー(解散)だ、カメラマンに水をぶっかけた、しまいには悪く言うタネが尽きて白足袋をはいているから貴族趣味だと難くせつけた。

 その評判は首相をやめたら次第によく、死んだら一代の名宰相、チャーチルに比肩するとまで言われ国葬になった。

 いくら悪く言われても吉田に人気があったのは、そのつら魂のせいである。あれは明治の人の顔というより封建の人の顔だから、私たちは絶えて久しい父祖に接する思いをしたのである。あの顔の持主なら国益に反することだけはしまいと信用したのである。

 池田勇人も佐藤栄作もこの吉田の股肱である。むろんつら魂は及ばないが、国益に反することだけはしないだろう。池田は経済成長を約束して月給を二倍にする、私はウソを申しませんと言って、そんなことが出来るものかとマスコミに冷笑された。十年を待たないで所得は何倍にもなったことはご存じの通りである。

 今にして思えば池田にも一片耿々の志はあったのである。佐藤にもあっただろう。在任中の首相は悪く言われるにきまっているが、このごろは言い過ぎるのではないか。坊や大きくなったら何になる? と親が問うと、たいていの子は運転手になる車掌になると答える。大臣にだけはならないと答えるものがあると、親たちはおおよしよし、よく言ったとほめそやすがこれは危険である。

 俗に井戸塀大臣といって戦前の政治家は国事に奔走して清貧に甘んじたと言うが、当時のマスコミはそんなことは言わなかった。政界は最下等の人物の集りで政党は腐敗の極に達し、その領袖は財閥の走狗であり利権の亡者だと毎日のように書いたから、当然それをまにうけるものが生じ、そのなかの一団は犬養毅を浜口雄幸を高橋是清を殺した。義によって殺したのだから彼らは俯仰天地に愧じなかった。当時も汚職はあること今に似ていたが、汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼしたのである。

 いま私たちはあらゆる責めを政治に帰す。箸がころんでも政治が悪いと言う。それなら政治家にそれ相応の敬意と何より報酬を払わなければならないのではないか。大企業の労組は十五万円しか出さなければ、十五万円の人材しか雇えないという。それなら百六十万円しか出さなければ、百六十万円の首相しか雇えない道理である。

 結局ソンするのは国民だから、出すものは出せと私は繰返して言うが誰も耳を傾けない。それどころか毎年のように議員の歳費を削れなどとたわごとを言う。私は国民のケチなのに驚いている。

「鬼籍に入った達人『山口瞳』『山本夏彦』 三千世界を袈裟切りにした『傑作コラム集』」より

週刊新潮 2015年8月6日通巻3000号記念特大号掲載

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