山本夏彦『夏彦の写真コラム』傑作選 「銀行はやっぱり金貸」(1980年3月)

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 すでに鬼籍に入ってしまったが、達人の「精神」は今も週刊新潮の中に脈々と息づいている。山本夏彦氏の『夏彦の写真コラム』。幾星霜を経てなお色あせない厳選「傑作コラム集」。

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 前回金貸について言いかけたから、今回はそれに続いて言う。

 戦前は人口三、四万の地方都市に、コンクリートの建物といえば銀行があるだけだった。建物の正面入口を一段と高くして、軒の低い家々を圧して、銀行は金貸のイメージを拭い去ろうとして、去るに成功したのである。

 けれども銀行は依然として金貸で、銀行員はその配下である。彼らは我らの零細な預金を集め、我らに貸さないで大会社に貸し、大会社はその金で土地を買いビルをたて工場をたて、その近隣の地価をあげ、地価があがれば担保力は増すから同じ担保で再び三たび金を借り、再び三たび地価をあげて二十年、ついに我らに一坪の土地も買えないようにした。すなわち銀行と大会社はぐるである。

 銀行は原則として法人(会社)に貸して個人に貸さない。いまだにこの原則は生きている。ただ世論を恐れて「住宅ローン」と称して個人にも貸すようにしたが、給料はもとより賞与以下内職の収入までこまごま書き出させ、あげくのはてに勤務先の会社が無名だから、これだけしか貸せぬという。

 勤務先が無名なのは、名刺を一瞥しただけで分ることだ。こまごま書き出させるには及ばぬことだ。それを出させた上で恥辱を与えるのである。

 私は杉戸茂銀行と取引して三十年になる。この銀行は外回りの行員の名刺の肩書に「支店長席付」と印刷している。席が支店長のそばにあるというだけのことで、そそっかしい客がひょっとしたら支店長代理かと間違えるのをあてにしたのである。

 手短に言えばイカサマである。大銀行のすることではない、よせ、また住宅ローンの担当者には若い行員を置くな、世故にたけた老練を置くがいいと、十年も前にその席付を介して私は支店長に言わしめたのに、驚くべしいまだに改めない。支店長と席付との距離は、こんなに離れているのである。

 みつぎとりはみつぎとり、金貸は金貸として堅気にうしろ指さされるなら、私はこんなことを言いはしない。並の人として遇されているから言うのである。

「鬼籍に入った達人『山口瞳』『山本夏彦』 三千世界を袈裟切りにした『傑作コラム集』」より

週刊新潮 2015年8月6日通巻3000号記念特大号掲載

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