山口瞳『男性自身』傑作選 「正論を吐く男」(1970年10月)

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 すでに鬼籍に入ってしまったが、達人の「精神」は今も週刊新潮の中に脈々と息づいている。山口瞳氏の『男性自身』。幾星霜を経てなお色あせない厳選「傑作コラム集」。

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 AとBが酒を飲んでいる。AがBにからんだとする。クダを巻くでもいい。

 この場合、たいていは、Aの言うことは正しいのである。正論である。

 酒を飲んでカラムというときに、間違ったことを言いだして因縁をつけると思われがちであるが、決してそうではない。酒を飲んで、どうかして、遂に正論を吐くにいたるのである。

 こういうタイプの男を、私は、正論党と名づけている。それがセイロン島になり、セイロン紅茶になる。

「あいつは、セイロン島から来た男だからねえ」

 と、言ったりする。私見によれば、女はすべて“セイロン島から来た女”である。

 酒のうえの話にかぎったことではなくて、体が弱ってくると正論を吐くようになる。また、老齢になると、正論党になる。つまり、頑(がん)固オヤジである。

 頑固オヤジが嫌(きら)われるのは、曲ったことを言うからではなくて、正しいことを言うからである。曲ったことなら聞き流せばよい。正論だから、耳に痛い。従って煙ったくなるということになる。

 女房の論理は、すべて正しい。女房というものは、一人残らず、セイロン島から派遣されてきたのではないかと思われる。

 いわく。

「酒を飲むな。飲んでもいいが、ほどほどにせよ」

 いわく。

「仕事をせよ。締切がきてあわてて書くのはミットモナイし、先方に迷惑をかけるから、毎日すこしずつでも書け。くだらないTV番組を見るな」

 いわく。

「浮気をするな。してもいいけれど、わたしにわからないようにやって。(そのくせ、女房は、わかるようにわかるようにと探索を怠らない)」

 いわく。

「ムダ遣(づか)いをするな」

 これは、すべて正しい意見である。正論である。従って、耳に痛い。従って、こちらの機嫌(げん)の悪いときは喧嘩(けんか)になる。

 小学校の教室に貼(は)ってある「整理整頓(とん)」という標語、工場にある「安全第一」という標語、交通標語であるところの「サイフ落すな、スピード落せ」などは、すべて正論である。従って、これをウルサイと感ずるのである。

     ×    ×

 私は酒乱であるらしい。らしいというのは自覚がないからだ。

 酒乱というのも正論党である。酒乱が道路に寝てワメイテいるのを聞くと、たいがい正しいことを言っている。

「いまの日本の政治家は、なっとらん。自民党も社会党も腐っとる!」

 酒乱も頑固オヤジも女房も、正論党である。主婦連なんていうのは正論党の巣窟(くつ)であり、総本部である。決して間違ったことを言わない。

 ただし、正論党というのは、言わなくてもいいことを言ってしまう、という傾向がある。嫌われるのは、そのためだ。堪(こら)え性がないという傾向もある。だいたいにおいて、痩(や)せている。

 それから、どこか純粋なところがある。頑固オヤジというのは純粋で、実際は優しいところのある人間である。むしろ、小心といったほうがいいかもしれない。流行語でいえば単細胞である。腹黒いオヤジは黙っている。余計なことは言わない。黙っていて、ふえっふえっふえっと笑うような中年以上の男がいたら悪人だと思って間違いがない。徳川家康はこのタイプで、石田三成は正論党であるようだ。

 むろん、正論党にも色々あるし、正論党がいいとも悪いとも思わないし、悪人が悪いと言っているのでもない。

     ×    ×

 私は、書くものが女々(めめ)しいと批評されたことがある。女房的発想や、女房の論理が多いという意味だろう。それは当っていると思う。

 また、男性的と評されることもあった。このへんが微妙である。

 一般に、ダラシがないのは男であり、気丈であるというのが女性的性格であるようだ。『夫婦善哉』という小説の男と女の性格を逆にすることは不可能なのである。

 同人雑誌の編集後記などに、既成文壇を弾劾するような肩肘(ひじ)張ったような文章があるが、あれは妙に女性的な感じがするものだ。なんだか、その筆者が流行作家になったときは、そんなことを言わなくなるような気がする。

     ×    ×

 今年のはじめに、ある雑誌の座談会で、吉行淳之介さんと北杜夫さんと私の三人で鬱(うつ)病について話しあった。

山口:ところでね(鬱病になると)罪の意識と、それから、やたらに正論を吐かない? へんに正義感に目ざめたりして。北杜夫は正論を吐くね。だれかとケンカしたりした話を聞くと、斎藤(北氏のこと)は正しいんだよ。いつでも。

北:そんなこと、ないですよ。

吉行:いや、そうなんだよ。根源的な問題だよ、これァ。つまり世の中というのは、あまり本当のことをいっちゃいけないところで成り立っている点がある。それをいってしまうんだよ。それはあるな。

山口:(私も)まえからそういう傾向があると思うんですよ。お前はとくに酒が入ると正論を吐きすぎる。それが誰かを傷つけている。お前は正しいんだけど、それはいかんといわれる。あなたにしてもそうでしょう。

北:ヒトミさんのマジメ人間は、ぼくと質は違うけど、ヒトミさんのほうが正論派です。

山口:つまり正義派になっちゃう。

吉行:正義派と正論派とは違うけどね、正論派というの、それはわかるな。(中略)正義派が正論派に移行して“鬱”になったような気がするんだ。

 このあと、北杜夫の、男たるもの銀行に借金がなければ一人前じゃないと思って、わざわざ借金したり、自分のもっとも不得手なものでメシが喰(く)えねば男ではないと思って歌手になろうとした話などがある。このあたりが、まことに正論党であり、正論病である。

 北杜夫は、私の文壇関係の友人でいえば、もっとも純粋で、もっとも心やさしき男である。

 鬱病になると喧嘩っ早くなるものだけれど、北杜夫はよく喧嘩したらしいし、私も電話で攻撃を受けたことがある。どの場合でも、私は、北杜夫の言いぶんが正しいと思った。とくに私の場合は、彼の態度は男らしく、優しく、行き届いていると思った。

 しかし、正論党は、やはり、言わなくてもいいことを言ってしまう傾向がある。吉行さんの言われるように「世の中というのは、あまり本当のことをいっちゃいけないところで成り立っている点がある」と思われる。「お前は正しい。しかし、それはイカン」というところがある。

 そのへんが微妙である。たとえばサラリーマンの「酒のうえの失敗」も、大半は、このあたりにある。正しいことを頑固に主張してしまう。

 そうして、私には、太宰治というような作家が、現代まで生きていたらどうなっているか(現存なら六十一歳)という想像がつかないのである。

「鬼籍に入った達人『山口瞳』『山本夏彦』 三千世界を袈裟切りにした『傑作コラム集』」より

週刊新潮 2015年8月6日通巻3000号記念特大号掲載

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