『昭和天皇実録』に記載されなかった真実 「英国情報工作員」とも引見した「昭和天皇」復興のインテリジェンス――徳本栄一郎(ジャーナリスト)
■大変な苦痛
アチソンは天皇に直(じか)に米国のアジア戦略を伝えたのだった。その2カ月後の3月9日、天皇は米チェース・マンハッタン銀行のデイビッド・ロックフェラー頭取を引見している。世界有数のロックフェラー財閥創業者の孫で、米政界に大きな影響力を持つ人物だ。
ロックフェラー「フィリピンでは共産主義の危険が収まり、徐々に経済も改善しています」
天皇「それを聞いて嬉しく思います。日米の協力は両国だけでなく、世界平和に極めて重要だと思います」
ロックフェラー「私はソ連と中国を訪れた事はなく、彼らの態度が変わらない限り、足を踏み入れるつもりはありません。(中略)米国、欧州、日本が緊密に協力すればソ連と中国の前進を阻止できるでしょう」
天皇「私もそう思います」
このように50年代から60年代にかけて天皇は共産主義を警戒し、極めて政治的な会話をしていた。引見した各国要人から直にインテリジェンスを入手し、国際情勢で意見を交換した。そこには東西冷戦の最中、冷静な現実主義者としての天皇の姿が浮かぶ。
そして、これらのやり取りは宮内庁も把握しているはずだ。なぜなら『実録』の典拠資料には「真崎テープ」の基になったノート、真崎秀樹英文日記が含まれるからだ。もしこれが情報公開されれば、激動の昭和の時代に天皇が何を考え、どう行動したかを知る第一級の資料になるだろう。
だが、一人の人間としての天皇を鮮やかに照らすエピソード、それはサンフランシスコ講和条約の調印直後、吉田茂首相とのやり取りではないだろうか。
『実録』では51年9月15日、帰国した吉田首相が講和会議の経過、条約の内容について説明したとある。例によって記述はこれだけだが、その5日後、駐日英国代表部がロンドンの英外務省にある報告を送っている。代表部幹部が吉田首相と交わした会話についてだった。
「昨日、吉田首相と会った際、講和条約に対する天皇の態度が話題に上がった。(中略)天皇は条約内容が彼自身にとって予想以上に寛大だった事に同意した。一方で天皇は明治大帝の孫(である自分)の時代に、海外の領土を全て失った事は大変な苦痛だと語った。吉田首相は天皇に、今更そんな事をこぼす時期ではないと述べたという」(51年9月20日、英外務省文書)
天皇は講和条約を歓迎しつつ、明治以来の海外領土を失った事に大きな葛藤を覚えていた。また祖父である明治天皇への敬愛が伝わってくる。占領という未曾有の時代が終わり、つい本心を明かしてしまったのだろう。
約24年の歳月をかけて完成した『昭和天皇実録』は一大歴史絵巻と言える。激動の時代を鮮やかに照らし出したが、それは巨大なジグソーパズルでもあった。欠けた部分にピースを埋め込む事で昭和の真相が浮かび上がる。あの時代の検証はまさにこれから始まると言ってよい。
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