黒柳徹子さんを育てたもう一人の恩師の言葉「あなたの、そのままがいいんです!」
8月15日、日本テレビで放送された『世界一受けたい授業』に女優の黒柳徹子さんが先生として登場した。黒柳さんはベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』に描かれた自身の小学校時代のエピソードを紹介した。黒柳さんを導いた恩師・小林先生の温かい言葉を紹介し、真の教育とはどのようなものかを語り、スタジオの生徒たちには感動の涙が溢れた。しかし黒柳さんが勇気づけられたもう一人の先生がいたことをご存じだろうか。
■「トモエ学園」での恩師・小林先生
黒柳さんは小学校入学当初から問題児扱いされており、小学1年生にして退学をさせられた。その後転校した「トモエ学園」で恩師・小林宗作校長先生と出会った。小林先生はとにかく落ち着きがなく元気すぎる黒柳さんに「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」と何度も語りかけた。それまで自分は他の子と違うと感じ、周囲から疎外感を感じていた黒柳さんは、その言葉によって自信を取り戻し、元気づけられたと語っている。
「トモエ学園」での生活を描いた『窓ぎわのトットちゃん』は1981年に刊行され、累計約581万部のベストセラーとなり、数十カ国語にも翻訳され、いまなお世界中で読み継がれている。
■喋り方を明日までに直せ!
女優の黒柳徹子さん
黒柳さんは1953年、20歳で日本のテレビ女優第一号としてNHKに採用された。そこで小林先生に続き、人生の救いとなるもう一人の先生と出会った。黒柳さんが過去の交友や人生を振りかえった近著『トットひとり』(新潮社刊)のなかでそのときのエピソードを明かしている。
NHKに入ったばかりの黒柳さんはラジオドラマの端役「ガヤガヤ」というその他大勢の群衆の声を任されたという。しかし黒柳さんの声は特徴的で演出家からは散々な言われようだった。
「ちょっとそこのお嬢さん、一人だけ目立つと困るんだよね」
「お嬢さん今日は帰っていいよ」
「お嬢さん来ちゃったの。いいよ、いいよ、やらなくて」
と個性的な声の黒柳さんは煙たがられていたという。テレビ初出演のときも途中で降ろされた。歌手の後ろを通り過ぎる通行人の役だったのだが、自分なりに工夫して演技をすると「そんなことはしなくていい」と怒られ、結局その役を降ろされてしまった。その後もずっと「ヘンな声だ」とか、「喋り方を明日までに直せ!」とか、「みんなと同じにできませんか?」などと先輩にも言われ続けたという。
■あなたの、そのままが、いいんです!
その後黒柳さんは「ヤン坊ニン坊トン坊」というラジオドラマの声優に抜擢される。このドラマは少年の役を大人の女性が演じるという日本初の試みだった。そのときの心境を黒柳さんはこう語っている。
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ラジオでもテレビでも、降ろされてばかりだった私は、オーディションに合格しても、後で降ろされたらどうしよう、と心配だった。そこで、審査員の一人の飯沢先生(編注:脚本家の飯沢匡)に紹介された時、ご挨拶もそこそこに、
「私、日本語も喋り方も歌い方もヘンだとみんなに言われています。個性も引っ込めます。勉強して、ちゃんとやりますから」
と言った。
すると飯沢先生は笑いながら、私に向かって、こう言って下さったのだ。こんな言葉は、NHKの誰一人、それまで言ってくれたことがなかった。
「直しちゃいけません。あなたの喋り方がいいんですから。どこもヘンじゃ、ありません。そのままで、いて下さい。それが、あなたの個性で、それを僕たちは必要としているんですからね。心配しなくても大丈夫。いいですね? 直すんじゃ、ありませんよ。あなたの、そのままが、いいんです!」
世の中に私の個性を必要としてくれる人がいるんだ! 私は、たまらなく嬉しくなった。
(中略)
両親が「二度と娘が追い出されない学校を」と懸命に探して、転入させたトモエ学園の小林宗作校長先生が繰り返し、言ってくれた、
「君は、本当は、いい子なんだよ!」
という言葉。そしてオーディションの時に飯沢先生が仰った、
「直すんじゃ、ありませんよ。あなたの、そのままが、いいんです!」
という言葉。この二つの言葉が、どれだけ私の人生の救いになり、支えてきてくれたか、わからない(小林先生が「君はいい子なんだよ!」ではなくて、「本当は」と付け加えている事に、私はしばらく、気がついていなかった)。
私はその後、何度も何度も、飯沢先生の言葉を思い出した。いくら呑気者で元気な私でも、「邪魔」とか「帰っていいや」とかばかり言われ続けていたら、まともなことを、何ひとつできない大人になっていたかもしれなかった。
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日本のテレビ史に残る名女優を育んできたのは「個性を肯定する」という、二人の先生からのあたたかい賜物だった。