知らなかった父の意外な過去/『昭和残影 父のこと』
夭折した父の足跡をたどる、足立巻一の名著『虹滅記』を知ったのは「本の雑誌」のおかげで、同誌は繰り返し、その面白さを熱っぽく紹介してきた。
『昭和残影』は、その「本の雑誌」発行人であった著者による、目黒版『虹滅記』である。構想三十年、冒頭の部分が雑誌に発表された後、長く中断してやきもきさせられたが、ようやく完成したので飛びつくように読んだ。
足立巻一と違って目黒氏の両親は長く健在だったが、二人とも寡黙で、友達や親戚を家に招くこともほとんどなかった。息子のほうからも、積極的に父の人生を聞いたりはせず、やがて家を離れる。
きっかけは一冊の本だ。父亀治郎は、戦前、治安維持法で逮捕され、六年間、刑務所で服役していた。服役していたことは父から直接、聞かされていたが、その非合法活動について書かれた本を読み、父には著者が生まれる前に亡くなった妻がいたことを知って驚く。父と活動をともにしていたその人は、同時に逮捕され、病を得て早逝していた。
父は、どんな青春を送ったのか。自分の知らない若き日の父の後ろ姿を追って、著者はかつて父が暮らした町々を訪ね歩き、あまたの本を渉猟する。直線距離を進んで答えを得ようとはせず、脱線につぐ脱線を続ける。自分の興味あるテーマ、たとえば川崎競馬場のなりたちについてとことん調べるなど、どんどん横道にそれていき、時折、父の姿を見失いそうになるが、そのぶん、彼のいた時代の空気が体感できるのが面白い。
旧制中学を四年で中退、左翼運動に身を投じた亀治郎は、生涯、独学で勉強を続けた。英語、ドイツ語、スペイン語などの辞書を揃え、辞書をひきながら洋書を読むのを生涯の楽しみとした。家を建てるための土地も、印刷会社をおこしたときの機械も、辞書を売った金で購入したという。もうひとつの趣味である俳句も、百科事典の俳句の項を熟読して興味を持ったというから、著者がブッキッシュなのは親譲りだろう。
生前には思うように話してもらえず、かわりに原稿用紙に少しずつ思い出を書いてもらっていた。忙しさにまぎれ、内容を確認しないまま父は亡くなり、あとに四〇〇字九十枚ほどのメモが残された。
本文で引用されるこのメモや、認知症になった妻の看護日記の文章がじつに魅力的だ。きまじめで、自分について語ることがほとんどなかった明治生れの男の肉声が、本のページから聞こえてくる。楽しいはずの青春時代に過酷な獄中生活を送り、最愛の妻や両親の死を独房で聞くことになった青年は、第二の人生で新しい家族を得た。生涯、口にすることはなかったが、その静かな暮らしを慈しむ彼の思いがまっすぐに伝わってくる。
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