なぜか疎外されている 「集団的自衛権は合憲」の憲法学者座談会――長尾一紘×百地章×浅野善治

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■砂川判決の正しい読み方

浅野:最高裁による59年の砂川事件判決でも、「憲法9条はわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定していない」、「国が平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な措置を取ることは国家固有の権能の行使として当然」としています。

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 砂川事件とは、57年7月に米軍基地拡張に反対した学生7人が基地に侵入して逮捕・起訴された事件である。最高裁は、憲法9条は自衛権を否定しておらず、他国に安全保障を求めることを禁じていないなどと判断した。違憲論者には「砂川判決は個別的自衛権に関する判決であり、集団的自衛権を念頭に置いたものではない」「主論でなく傍論で言及しただけ」などと反論する人もいる。

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百地:多くの違憲論者の反論は聞違いです。学生は刑事特別法違反の罪で起訴されましたが、この事件ではそもそも駐留軍を保護する法律は許されるのか、という点が争点となりました。駐留軍が違憲なら、それを保護する法律も違憲。そこで駐留軍と当時の日米安保条約の合憲性が争われ、最高裁は駐留軍を合憲と判断しました。52年に発効した旧安保条約の前文には「国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。これらの権利の行使として、日本国は(中略)国内にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する」と明記されています。最高裁はこれを踏まえて判断したのですから、個別的自衛権と集団的自衛権の両方を認めたことになる。傍論どころか堂々と主論で述べていると思います。

浅野:国家固有の自衛権の有無を判断したわけで、そこには当然、個別的自衛権と集団的自衛権の区別はされていないわけです。

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 これまで、政府の統一見解や解釈を実質的に作って来たのは内閣法制局である。昨年に変更された「保有はするが行使はできない」との解釈も、ベースは法制局が生み出したものだ。

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百地:法制局には、各省からトップクラスのエリートが集められていますが、かと言って法律のプロはいません。約80人の法令担当職員のうち、法曹資格、即ち司法試験に合格した人はわずか数人と聞きます。集団的自衛権は国際法上の権利にもかかわらず国際法の専門家もいませんから、どうしても国際標準という発想が出て来ない。

浅野:まあ、各省で法律関係を担当している官僚の中から優秀な人を集めているわけです。法案を作る時は、やっぱり憲法との関係を考えながら検討していくわけで、その観点から見れば法曹資格がないとはいえども法律的なセンスはある集団なんでしょう。ただ、彼らは自分たちで政策や法案を作るのが仕事ではない。今回のように、内閣から「集団的自衛権を行使できないか」とご下命があった場合に「どこまでできるのか」を精査するのが使命です。

百地:彼らは本来、内閣の顧問弁護士的な立場のはず。それがいつの間にか内閣に睨みを利かし、全ての解釈権を握るようになってしまった。内閣は本来、自分たちで政治的に判断すべきことを法制局に丸投げしてきた。だから、法制局も「自分たちが決めた解釈を実行するのが内閣」と勘違いするようになった。この責任は内閣だけでなく、国会にもあると思いますよ。

長尾:私も法制局自体が勘違いしていると思うことがあります。最高裁には違憲審査権という、国内全ての法律や命令、規則や処分が憲法に適合しているかどうかを審査する権限が付与されていて、下された判断には内閣にも従う義務があります。一方、法制局は単に意見を述べるだけで、内閣はそれを採用するか否かは自由。にもかかわらず、これまでの法制局は自分たちが積み重ねてきた伝統的な意見、先輩たちから引き継いできたイズムを内閣に押し付けようとしてきました。これは本来の役目を大きく逸脱した行為です。さらにもう一点、法制局の法律家としての能力に疑問がある。例えば、81年に出された集団的自衛権に関する政府見解も、あまりにお粗末でした。

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