権力=財布 会計士は見た! 世界版/『帳簿の世界史』
「いま理解できないことやこれまでずっと理解できなかったことを理解しようとして、頭を悩ませたくはない」
わかるよー、と思わず肩を叩きたくなるこの発言は帳簿を前にスペインのフェリペ二世が言い放ったものだそうで、正直といえば正直だが国家君主がそれでは困るだろう。
だが、わからないものから目をそむけたい、と思うのは世界共通なようで、君主も例外ではなかったことがこの本を読むとよくわかる。
『銃・病原菌・鉄』の成功があってか、ひとつ(ないしは複数)のもの、あるいは事象に着目し、大きな歴史の流れを描き出す本はいくつも出ているが、帳簿というのはなかでも目のつけどころがいい。
十四世紀イタリアからルネサンス期のメディチ家、スペイン、オランダ、フランス、イギリス、建国期および現代のアメリカにいたる七百年にわたる帳簿の歴史をたどったこの本は、無味乾燥な、収入と支出の記録についての本が魅力的になるはずがないという先入観をみごとにくつがえし、帳簿を前にした権力者の心のうちまで明かしてみせる。
帳簿すなわち会計と会計責任は、大国の興亡に大きな役割を果たしてきた。財政管理のツールである複式簿記の誕生が、資本主義と近代政治の幕開けを意味する、とまで著者はいう。だからこそ、統治者が歴史上初めて複式簿記を学び、政権運営に導入したオランダで、東インド会社は成功した。財政管理と透明性の確保こそが、国家運営の鍵なのだ。
だがそのツールは両刃の剣で、「統治者としての自分の失敗をあからさまに示す不快な代物」にもつねになりうる。ルイ十四世のように、いちはやくその重要性に気づき、小型の帳簿を持ち歩くことまでしながら、度重なる戦争や宮殿建設で出費がかさむと会計の中央管理そのものをやめてしまう国王も出てくる。
透明性の確保は財政健全化の唯一の道だが、金の出所を明らかにし赤字を国民の目にさらすことは権力の弱体化も招く。「帳簿」が抱えるジレンマはいつの世も同じで、アメリカのエンロン事件の顛末ひとつを見てもそれはよくわかる。
歴史学と会計学が専門である著者は、専門分野の歴史資料にあたるだけでなく、その時代の小説や絵画の中で会計士や徴税人の姿がいかに描かれているかも参照していく。著者の持論は「倫理的・文化的枠組みに溶け込んでいるときは、会計責任はよりよく果たされる」というもので、キリスト教との歴史的な関係を浮かびあがらせると同時に、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を主導することで近ごろ話題の中国や、日本も含め、各国の未来を占ううえでも重要な視点を与えている。村井章子訳。