【元少年A『絶歌』】遺族の回収要求に5万部増刷で応えた「太田出版社長」かく語りき
乾きかけていた瘡蓋(かさぶた)をむしり取るだけでなく、傷口に塩をすり込み、被害者遺族をさらに非道にいたぶる。一方、自身は「匿名の外套(がいとう)」を身に纏(まと)い、多額の印税を懐に入れた少年A、またの名を酒鬼薔薇聖斗。これはもはや、彼の手による、何の罪もない遺族への私刑の行使であり、社会への挑戦だと見る人がいる。『絶歌』の増刷が決まった……。
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「淳は今回の出版によって加害男性に二度殺された、私はそう思っています」
本誌(「週刊新潮」)は前号で、少年Aに殺害された土師(はせ)淳くん(享年11)の父親である守さんの無念の声をこう伝えた。そして、土師さんは手記の回収を訴えていた。にも拘(かかわ)らず、遺族感情を完全に無視しての増刷決定。少年Aは、三度(みたび)、淳くんを殺したのだ。
6月17日、『絶歌』の版元である太田出版は、岡聡社長名による次のコメントとともに5万部の増刷を決めた。
〈私たちは、出版を継続し、本書の内容が多くの方に読まれることにより、少年犯罪発生の背景を理解することに役立つと確信しております。/ご遺族にも出版の意義をご理解いただけるよう努力していくつもりです〉
だが、土師さんのもとには、22日の時点でも少年Aによる出版の「弁明」の手紙および『絶歌』は結果的に届けられていない。
土師さんの代理人を務める弁護士の井関勇司氏は、同書発売後、遺族の思いを代弁して本誌の取材にこう語っている。
「本が回収されなかった場合、裁判を行うかどうかは未定です。事件から18年の時間が経ち、ようやく精神的にも落ち着いてきたところに、今回の出版。大変な憤りを感じています。加害男性からは土師さんに宛てた手紙が毎年送られてきて、以前は数枚だった手紙が今年は数十枚に増え、土師さんが知りたいと考えていた事件の経緯も書かれていた。土師さんは『これでいいのかな』と言い、一つの区切りになると思った矢先の不意打ちの出版でした」
先に紹介した太田出版の〈ご遺族にも出版の意義をご理解いただけるよう努力していくつもり〉とのコメントは、ただただ虚しく響くばかりだ。
■少年法に守られる32歳
〈出版の意義〉を謳(うた)う岡社長に改めて尋ねると、
「(土師さんへの送本等は)ご遺族が激怒して拒否されていると聞いています」
こう「弁解」しつつ、非難されている匿名問題を釈明した。
「実名出版か匿名出版かについては、正直、あまりこだわりませんでした。この点がここまで大きな問題になるとは想像もしていなかった。『少年A』は実名に等しく、イコール『彼』だと認知されていますし、そもそも事件当時、少年法のもとで名前は伏せられたわけですからね。それに彼自身が『元少年A』での出版を希望し、そうでなければ本を出せなかったと思います。彼は表に出ることを嫌がっていましたから」
徹頭徹尾、少年Aの意志を「尊重」したという岡社長はさらに、同書出版に対する批判的意見に、こんな喩(たと)えで反論した。
「野菜を切るための包丁を売ったのに、その包丁が人殺しに使われてしまった。それで、『売る時に人殺しに使われると思わなかったのか』と責められてもねえ。我々は野菜を切るために一番切れ味の良い包丁を提供した。どこのものよりも野菜を切るのに役立つと思って出版したんです」
彼は知らなかったのだろうか。事件当時、少年Aが犯行声明に〈汚い野菜共には死の制裁を〉と記していたことを。事件後に母親と面会した少年Aが、「弱い者は野菜と同じや」と言い放ったと報じられていることを。つまり、被害者を「野菜扱い」していたことを……。岡社長の比喩は、不謹慎極まりないか、不見識極まりないかのどちらかということになる。
今回の「出版事件」を、評論家の呉智英氏はこう分析する。
「この度の出版騒動は、少年法、ひいては刑法が抱える矛盾を浮き彫りにしました。近代法は、精神疾患を抱えている者、あるいは少年のように自由意思が不完全な存在を、罰するのではなく、加害者はいずれ更生するはずだから『指導』すべきとの考え方で運用されてきました。しかし、手記の出版が、少年Aが更生していないことを如実に物語っている。近代の刑法、少年法の思想的問題点が端的に表れた一件だと言えます」
その上で、匿名問題に関しては、
「遺族の気持ちを蔑(ないがし)ろにして本を出す以上、倫理的に考えて、少年Aは自主的に匿名の殻を破り、少なくとも犯行当時の写真、そして現在の写真を載せ、表に出るのが筋でしょう。それでもなお、彼が匿名性を保持しながらの表現の自由にこだわるのであれば、世の中の人が『人殺し出てこい!』と、少年Aを糾弾する表現の自由も尊重されなければなりません」
作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が、至極単純な話として続ける。
「元少年Aが未だ少年法に守られ、匿名という特権的地位にあることが問題なのです。14歳ではなく、32歳のおっさんが自らの判断で本を書いたわけですから、実名で出すのが当たり前。何も分からない子どもではなく、大人の決断なんですからね。出版社が話題性を考えて『元少年A』で出版するのは一つの“手”ではありますが、ならば『元少年Aこと誰々』とすべき。被害者は実名なのに、加害者が匿名を隠れ蓑にして攻撃から逃げるなんてとんでもない話です」
一方で『絶歌』には、元少年Aの幼少時の写真が、モザイク処理もされずに掲載されている。4歳の誕生日を迎える少し前、祖母の膝に抱かれた写真について、彼はこう書き留めている。
〈子供の頃から特徴的だった、ガラス玉を思わせる無機質な光沢を帯びたその眼に(後略)〉
〈その幼い顔には曰(いわ)く言い難い不吉な“翳(かげ)”が刻み込まれているように感じる。僕はその写真に写った自分の顔に「死相」を視(み)た。眼は洞窟のようで(後略)〉
無論、この一葉をもって、匿名の隠れ蓑という批判に反論することはできない。現在の彼の姿を推定することすら難しい「遠い昔」の写真に過ぎないからだ。
ちなみに、同書の中で彼自ら、事件当時の自分の顔についてこう言及している。
〈鏡に向かうと、自分の顔が映画『プレデター』に出てくるクリーチャーのように、口の周りの皮膚がガバっと裂けて大きく拡がり、牙を剥(む)き出した醜い化け物の姿に変貌する様子がありありと視えた〉
陳腐な比喩ではあるものの、少なくとも自己顕示欲の塊だった彼が、自分の顔に人並み以上の関心を持っていたことは十分、窺えるのだ。
なぜ、彼が当時の写真を『絶歌』に掲載しなかったのか、その理由は不明だが、彼自身が、
〈能面のように無表情な顔〉
と、手記の中で評している当時の写真がある。
祖母の膝の上の一枚と同様に遠い昔ではあるが、太田出版が主張してきたように、〈社会が少年犯罪を考えるため〉の一助となりえるのではないか。
「怒りの声すら上げる気持ちになれないであろう、土師さんになり代わったつもりで手記を読みました」
と言う、全国犯罪被害者の会代表幹事代行の林良平氏が吐き捨てる。
「人を2人も殺しておきながら、自分は殺人者だと誰にも悟られることなくのうのうと生活し、印税を稼ぐ。卑怯の一言です」
事件を総括する以上、淳くんらを殺(あや)めた1997年の14歳の肖像は、努めて「客観的」に捉え直す責務が課されているのではないか。
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