遺族感情を逆なでして手記の印税1500万円! 気を付けろ! 元「少年A」が歩いている!

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 せっかく固まりかけていた「瘡蓋(かさぶた)」を、徒(いたずら)にむしり取る輩が現れた。元「少年A」、またの名を酒鬼薔薇聖斗。沈黙を破り、手記を出したことで世間は騒然となっている。彼が手にする1500万円の印税以外に、出版によって一体何が生み出されるというのだろうか。

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 おい、ちょっと待ってくれよ。何なんだよ、これは。

 その筆先から滴(したた)り落ちる、消すことのできない血の匂いを、日々、平穏に暮らす「我々」に不躾(ぶしつけ)に嗅がせようとする。そんな権利を、誰が「君」に付与したのか。文学を気取った独りよがりの告白を、どうして垂れ流すことができるのか。なぜ、「君」の心の襞(ひだ)を覗かされなければならないのか。これで何が変わるというのか。

 手記という名の彼の「自慰行為」を目の当たりにした読者はきっと、救いのなさに吐き気を催す――。

 少年Aが「自伝」を出版した。『絶歌』(太田出版)、6月10日刊行、初版10万部。都内の大手書店員は、

「村上春樹さんの新作を髣髴(ほうふつ)させる売れ行きです」

 表現の自由という。だが、何人(なんぴと)にも自身の「精子(スペルマ)」(同書30頁より)を他人に見せつける自由は与えられていない。この本の出版によって悦に入る者は、自己顕示欲を満たしたのであろう少年Aただ一人。これを自慰と言わずして何と言おうか。彼は再度、被害者や遺族を、そして自身も社会も穢(けが)したのである。

〈一九九七年六月二十八日。/僕は、僕ではなくなった〉

 問題の手記は、こんな感傷的な出だしで始まる。

 16年前、彼の両親が『「少年A」この子を生んで……』(文藝春秋)を出版したが、11歳で少年Aに殺害された土師(はせ)淳くんの父親である守さんが愕然とする。

「両親の出版時以上のショックを受けています。今回、本が出てから5日経った時点でも、太田出版から何の連絡もありませんし、本も届いていません。もちろん読んでいないし、読む気にもならない。我が子が殺された描写を、誰が読みたいと思うでしょうか。彼は自分がやったことを顕示しているだけで、反省していないと言うしかありません。殺人を犯した人間が、被害者側に断りもなく、本を出版して金儲けするなど信じられない。犯罪者が犯罪を誇示しているようなもので、これを出版の自由とは言えないと思います」

 土師さんの代理人である弁護士の井関勇司氏も憤る。

「他の書籍を引用したりして格好つけていますが、自己正当化も甚だしい」

 遺族感情を逆なでした酒鬼薔薇聖斗こと少年Aは現在32歳。かつて14歳だった彼が起こした神戸連続児童殺傷事件の傷跡は、いまだ社会に深く刻まれている。

 97年2月から5月にかけて発生した同事件では、兵庫県神戸市須磨区内で小学生が次々と襲われ、2人が死亡、3人が重軽傷を負い、犯行様態は残忍と呼ぶ以外にないものだった。

 被害者の1人の淳くんと少年Aは顔なじみで、彼は無垢な淳くんを「亀を見に行こう」と誘い、通称「タンク山」で絞殺。その後、ノコギリで首を切断し、自宅に淳くんの頭部を持ち帰って弄(もてあそ)んだ挙句、自身が通っていた中学校の正門前にそれを晒した。〈さあゲームの始まりです〉と認(したた)めた犯行声明文とともに……。

 その瞬間を、少年Aは手記でこう振り返っている。

〈告白しよう。僕はこの光景を、「美しい」と思った〉

〈自分はこの映像を作るために、この映像を視るために、生まれてきたのだ。すべてが、報われた気がした〉

 倒錯の「正門事件」後、彼は新聞社にも犯行声明文を送り付けるなどして社会を挑発し続けたが、〈僕は、僕ではなくなった〉という同年6月28日に逮捕された。

 その後、関東医療少年院に送られ、2004年3月に仮退院。翌年1月に本退院となって「放免」されて以降、彼の行方は杳(よう)として知れなかったが、この度、遺族の気持ちを踏みにじる形で不意打ちの手記出版に及んだのだ。

■「秋田」と「習志野」

 太田出版の社員が、戸惑いながら明かす。

「発売1週間前に全社員が会議室に集められて、社長から突然、『朝日新聞だけには少年Aの手記を出版すると事前に知らせているが、その他、外部には決して漏らさないように』と、発表がありました」

 同社取締役で編集を担当した落合美砂氏が説明する。

「原稿を精読した上で、これは出版に値すると判断させていただきました。印税のパーセンテージは通常お支払いする範囲内です」

 印税は定価の10%が通常とされ、計1500万円もの大金が少年Aの手に渡った計算になる。

 いずれにせよ、この手記は本当に「出版に値する」と言えるのか。それを判断するためには、同書の概要に触れざるを得まい。

 全294頁の『絶歌』は二部構成になっている。第一部は少年Aの生い立ちから事件を起こして医療少年院に入るまで。第二部にはそこを出てからプレス工や溶接工など、職場と住居を転々とし、今回の出版に至る過程が綴(つづ)られている。

 溶接工時代に読み漁ったという三島由紀夫や村上春樹などの作品を持ち出し、同書は一見、文学風な装いを纏(まと)っている。しかし、精神科医の町沢静夫氏が、

「本を読み、驚くほど文章が上手いと感じた一方で、こうした表現力がありながら、あのような無残な事件を平然と行ったことに対して、改めて悲しみを感じました。知性は殺人を止めるだけの力を持たない。この事実に、ひたすら虚しさを覚えるばかりです」

 こう悲嘆するように、そもそも文学の俎上に載せるべきものではなかろう。例えば少年Aは、淳くんの頭部を自宅に運び、それを風呂場で洗いながら、

〈僕は殺人よりも更に悍(おぞ)ましい行為に及んだ〉

 と、同書に記述。逮捕後、神戸家裁は少年Aの「性的サディズム」が事件の要因の一つだったとしている。要は、淳くんの頭部を「愛玩道具」として利用したと、事件から18年も経った今、彼は敢えて自ら蒸し返したのである。土師さんの心情を推し量ると、あまりに切なく、呆然と立ちすくむしかない。

 97年の家裁審判時に少年Aの付添人(弁護人)を務めた、弁護士の野口善國氏ですら首を捻(ひね)る。

「加害者が手記を出版する意味は2つある。当事者として事件の概要を可能な限り客観的な視点で詳(つまび)らかにし、類似事件の再発を防ぐことと、被害者への謝罪の姿勢を示すこと。今回の手記はいずれの条件も満たしていません。まず前者に関しては、私が幾度となく彼に接見した審判に入る前の鑑別所時代や、少年院の話がほとんど書かれていない。また後者については、遺族が、Aにはたとえ小説であっても出版してほしくないと言っていた。何のための出版だったのか、私には全く理解できません」

 少年Aの親族の1人が、困惑した面持ちで溜め息をつく。

「何で本なんか出したのか……。昨年の秋、神戸市内でAの伯父の葬儀があり、Aの両親も参列していました。そこで母親は『働かなきゃ』『家賃が高くて、公営住宅が当たらないかな』とこぼしていた。両親は、ある左翼団体に“尾行”されたり、家に盗聴器を仕掛けられた経験もしている。Aの2人の弟も、学校を途中で辞めたり、製薬メーカーを退社したりと、“苦節”を味わっています」

 触る者を皆、傷つけている少年A。彼の関係者が声を潜める。

「近年、Aは被害者の命日にあわせて、ある人物経由で遺族に宛てた手紙を送っていましたが、その人物のところに届く封筒には、『秋田』『(千葉県)習志野』などの消印が押されていた」

■「再犯リスクが高まった」

 今後、少年Aがどこに移動し、どんな町を徘徊しようとも、言うまでもなく彼の「原罪」が消えてなくなるものではない。にも拘(かかわ)らず、彼は出版の動機について、手記の中で理不尽にも次のように説明している。

 太田出版に原稿が持ち込まれたという時期から遡ること2年ほど前の冬、自分の素性を知らずに慕ってくれていた仕事仲間に写真を撮られて逆上し、そのカメラを取り上げ、踏んづけて壊してしまったことで、

〈自分は周りを騙している。そんな後ろめたさが芽生え、人と関わりを持つことが怖くてたまらなくなった〉

〈このままここに居ては壊れる〉

 こうして、一人で勝手に精神崩壊の危機を迎えた少年Aは、溶接工として働いていた会社を退職し、

〈僕が最後に行き着いた治療法が文章だった。もはや僕には言葉しか残らなかった〉

〈自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした〉

 遺族感情を無視した、徹頭徹尾、自分本位の理屈と断じるほかない。

 犯罪者の精神鑑定を行ってきた心理学者で、一般社団法人「こころぎふ臨床心理センター」の代表である長谷川博一氏が危惧する。

「彼は再犯に及んでいないだけで、事件時と本質は変わっていないように映ります。更生の大事な要件は『衝動のマネジメント』。カメラ破壊の一件から、彼は予期せぬ不都合な事態が起きると短絡的かつ暴力的な手段に出る、つまり衝動をマネジメントできていないことが分かります。また、本を書いたことで自分の犯罪を具体的に思い出し、沈静していた衝動が強化される可能性もある。少年Aの最も強い衝動は『性と死』であり、出版によって再犯リスクが高まったと思います」

 数多の犯罪者と接してきた、元刑務官で作家の坂本敏夫氏も、

「異常犯罪を引き起こした人間に共通しているのは、自己顕示欲が並大抵ではない点です。少年Aも自己顕示欲のさらなる充足を目指し、続編を出したいとの欲求に駆られるかもしれません。あるいは、手記に対する多くの批判的な意見を耳にすることで、自分は世間から否定されたとの不満を抱き、新たな犯罪に走る恐れがあります」

〈自己救済〉のためという配慮の欠片(かけら)もない手記で、淳くんたち被害者を再び蹂躙した少年A。彼の「マスターベーション」を、被害者遺族であれば、いや子を持つ親であれば、いや人間であれば誰しも、受け入れることなどできはしない。

 再び土師さんが慨嘆する。

「淳は今回の出版によって加害男性に二度殺された、私はそう思っています。今も毎週末、明石市にある淳のお墓に参っていますが、墓前で加害男性を話題にすることはありませんし、手記の出版を報告するつもりもない。淳との大切な思い出を穢したくないのです」

「帰ってきたモンスター」を前にして我々にできるのは、土師さんらの想像を絶する無念に思いを致した上で、次の言葉を胸に刻み込むことであろう。

 昨日は秋田、明日は千葉。気を付けろ、自己顕示欲をぶらさげた、少年Aが歩いている!

週刊新潮 2015年6月25日風待月増大号 掲載

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