奇矯「女性建築家」の奇天烈「新国立競技場」にGOサインを出した「安藤忠雄」の罪

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 事態はもはや危険水域にある。2020年の東京五輪を前に、国立競技場の建替えが暗礁に乗り上げている。採用されたプランを遂行すれば、修正を重ねたところで予算破綻が必至だという。そもそも、奇矯な建築家に賭けたのは、誰あろうあの世界的巨匠だった。

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 1人の女性建築家が3年前に生み出し、鳴り物入りで迎えられたデザイン案。今なお、この“異形の楕円”に、国を挙げて振り回されているのだから始末に負えない。

 さる5日、かねてより景観などの見地から現行の建設案に異議を唱えてきた建築家・槇文彦氏が、計画の見直しを唱えて会見を開いた。

「国立競技場の運営母体で、文科省の外郭団体であるJSC(日本スポーツ振興センター)が昨年5月に発表した最新の建設費(解体費除く)は1625億円。ですが、現時点での見積りでこれが2500億円にも上ることが判明しています」

 とは、全国紙の運動部デスク。イラク出身で英国在住のザハ・ハディド女史(64)の案が採用され、物議を醸しているのはご存知の通りだが、

「槇さんは会見でさらに、試算すれば2700億円を超えると明言。工期も当初の42カ月では収まらず、50カ月に及ぶと警鐘を鳴らしました」(同)

 つまり、このまま突き進めば、1000億円以上の余分な費用が上乗せされてしまうというわけだ。

「その上で、天井を支える2本の巨大な『キールアーチ』をやめ、観客席のみを屋根で覆えば、現状の予算と工期で建設可能、と提言したのです」(同)

 南米やアフリカならいざ知らず、正確かつ精密を旨とする屈指の技術立国で、なぜこうした事態が引き起こされるのか。あらためて、経緯を辿ってみると――。

 2020年の五輪招致を目指し、JSCは12年3月、「国立競技場将来構想有識者会議」を設置した。

「各分野から14人のメンバーが集まって討議した結果、まず『8万人収容』『開閉式の屋根』『可動式観客席の導入』といった方針が固まっていきました」(同)

 これを受け、同年7月には事業主体であるJSCが国際デザインコンクール(コンペ)の実施を発表。審査委員は10名で、委員長には安藤忠雄氏が就いた。

「応募が締め切られたのは12年9月25日。海外から34点、国内から12点の計46点の作品が届きました。これらを、まず応募者の名をブラインドにして1次審査にかけました。結果、11月7日の2次審査には11点(海外7・国内4)が残ったのです」(同)

 2次審査は、各委員が良いものから順に3点選ぶという方式で行われ、

「ザハ案以外に、豪州と日本の設計事務所の案が残りました。ここから安藤さんの意向で日本案が外され、最後は2案による“決選投票”となったのです」(同)

 この審査委員には、8人の日本人の他、2人の高名な英国人建築家が名を連ねていた。が、ともに一度も来日しないまま、1次審査は投票せず。2次に際してはJSC側が作品案を現地まで持参し、順位とコメントを聞き取って反映させたものの、最後の決選においては、意見のヒアリングにとどまった。すなわち“看板に偽りあり”のコンペだったわけである。さる審査委員が明かす。

「決選投票は、4対4で割れてしまい、その後もめいめいが意見を述べましたが、いったん休憩しようということになった。で、皆が席を離れた後、一人の委員が安藤さんに『こういう時は、委員長が決めるべきでしょう』と話しかけたのです。実際に、それ以上繰り返しても結果は変わりそうになく、安藤さんも『わかりました』と応じていました」

 前出の有識者会議でも、安藤氏は唯一の建築家としてメンバーに加わっていた。

「だから、他の委員が詳しく知り得ない“上の意向”にも通じていたのでしょう。1時間ほどの休憩を挟み、再び全員が席に着くと、安藤さんは『日本は今、大変な困難の中にある。非常につらいムードを払拭し、未来の日本人全体の希望になるような建物にしたい』という趣旨のことを口にし、ザハ案を推したのです。そこで安藤さんは全員に向かって『全会一致ということでよろしいですか』と念を押し、誰も異論がなかったので、そのまま決まりました」(同)

 応募当初、ザハの案は、昆虫の触角のように伸びたスロープがJR線の上をまたいでおり、また高さも制限をオーバーするなど、公募条件から大きく逸脱していた。が、それらを認めつつも安藤氏はデザイン性を高く評価。

〈コンセプトが強ければ後で修正できる〉

 などと述べ、採用後にデザインを変更させていたのだった。加えて、

「2次審査の終盤、建築家でない方々から“五輪はテレビ中継もある。上空から映された時に世界がアッと驚くようなものがよい”といった意見も出て、ザハ案でまとまる流れがいっそう加速しました」(同)

 という。が、その後は苦難続きである。当初、総工費は約1300億円とされていたが、13年秋、IOC総会で開催地が東京に決定した直後には、材料費などの高騰もあって3000億円にまで膨れ上がる公算が大きくなった。

「そのため13年11月、有識者会議でザハ案が修正されます。29万平方メートルの延べ床面積はおよそ4分の3に縮小され、翌年5月には高さも低くするなどして、どうにか総工費1625億円にまで抑えていたのです」(前出デスク)

 が、その後は解体工事を巡る入札のトラブルなどが生じ、予定されていた14年7月からの工事も8カ月ずれ込んだ。そんな経緯もあり、当初の目玉だった開閉式屋根についても、

「先月18日に舛添都知事と会談した下村文科相は、現行のままでは19年9月に開かれるラグビーのW杯での使用に間に合わないので、屋根は五輪後に取り付ける意向を示し、また8万人を予定していた客席も、先々の維持費を考慮し、3万人分を仮設にする考えを明かしました」(社会部記者)

 まさに、進むも地獄、退くも地獄である。鳴り物入りで最優秀作品に選ばれたザハ案が似て非なるものに成り果てるにとどまらず、国際社会で一気に信用を失墜しかねない事態なのだ。

■「どんな文化があるの?」

 火種と化したザハ女史はイラクのバグダッド生まれ。22歳で英国へ渡って建築を学び、30歳で個人事務所を設立した。流線形のデザインを駆使し、“脱構築派”の旗手とされており、

「SF映画のような現実離れしたデザインが多く、その斬新さに建築技術や予算が追いつかなかった時代は、『建てた建物より実現しなかったプロジェクトの方が有名』『アンビルト(建築されない)の女王』などと言われていました」(建築ジャーナリスト)

 例えば1983年、香港のレジャー施設の国際コンペにおいて、審査員だった磯崎新氏の強い推薦で1等に選ばれるが、資金不足で未完に。87年には磯崎氏の縁で東京の「富ヶ谷ビル」「麻布十番ビル」の企画が進められるも、バブル崩壊で頓挫。さらに94年、英国ウェールズのオペラハウスの設計コンペで最優秀作品に選ばれたものの、地元の政治家らからデザインを疑問視する声が上がり、2年後には建設中止に追いこまれている。それでも、

「欧州を中心にキャリアを重ね、04年には建築界のノーベル賞と言われる『プリツカー賞』を、女性で初めて受賞しています」(同)

 奇天烈なデザインとともに、そのキャラクターもまた、しばしば物議を醸してきた。

「『子供の頃からわざと奇抜な格好をして生きてきた』『ビジネスの場で男性社会と戦ってきた』などと公言し、一昨年、22年に予定されているサッカーのW杯カタール大会のスタジアムをデザインしたところ、『女性器のような形だ』と揶揄されたことに激怒。『設計者が男性だったら、こうは言われなかったはず』と、男女差別にすり替えて反論するありさまでした」(同)

 昨年3月、韓国ソウルに「東大門デザインプラザ」を完成させた折にも、

「現地で記者から『地域のアイデンティティにそぐわない建築では』と問われて『この地域にどんな文化があるの?(建てた後は)政治家が考えることです』と不機嫌になり、勝手に取材を打ち切ってしまいました」(在韓ジャーナリスト)

 ちなみにソウルでも計画変更を余儀なくされ、220億円の予算が468億円にまで跳ね上がってしまった。今回のコンペに際しても、神宮外苑を下見するでもなく、よって環境との調和などを考慮した形跡は微塵もない。後々、揉めるのも無理からぬ話である。

 そんなエキセントリックなクリエイターに、JSCから支払われる「デザイン監修料」は、実に13億円。一方、総工費の見通しも、いまだ立たず。五輪メイン会場の建設費は、アテネが約300億円、北京が約650億円、ロンドンが約700億円だから、今回の突出ぶりがわかろうというもの。それでも安藤氏は「この流線形は日本の橋梁技術で可能」と太鼓判を押して見せたのだった。

■「仕切り直しすべき」

 昨年10月には、コンペの審査委員をつとめた内藤廣東大名誉教授が、

〈審査は拙速だったと言われても仕方がない〉

〈時間のない中で早急にと言われて、本来はこんなふうにやるべきではないと思いながら巻き込まれた〉

 などと発言。13年1月に迫っていたIOCへの計画書提出期限に間に合わせるべく強行した“即席コンペ”の不備が露呈したわけである。幕張メッセや東京国際フォーラムの構造設計を担当し、今回は2次審査まで残った建築家の渡辺邦夫氏も、こう言うのだ。

「コンペ自体が、実際に作る競技場の案を募るためではなく、IOCに開催を認めてもらえる案を決めるために行われたため、応募期間が2カ月間しかなかったのです。一般に、新国立競技場レベルの予算と規模なら、半年間の期間を設けるべきでしょう。また世界的にも評価の高いイギリスの審査委員2人は実質参加していないに等しく、これはそもそもJSCが提示した要綱に反しています」

 ザハ案についても、

「専門家が見れば、予算の範囲で造れないのは審査段階で分かります。第一、建物の一部が敷地外に飛び出しており、本来ならば失格の作品を最優秀賞に選んでしまった。せめて招致が決まった段階で、ザハ案が違反であると公表し、十分な条件によるコンペを開いて仕切り直しすべきでした。それをしなかったのは、安藤さんの責任でしょう」(同)

 このままザハ案に固執したところで、理念など皆無の代物が出来上がるというのだ。が、

「もし安藤さんが『実現に力を貸してほしい』とザハに頼んでも、『選んだのはあなたたちでしょう』と耳を貸さないでしょうね。彼女は、その土地の文化や伝統を壊したうえで新たなものを造るという『破壊建築』が身上。将来的にできるかもしれない、という発想なので、実際に建つか否かには執着しません」(同)

 その点を踏まえ、

「ラグビーのW杯会場を変えてでも五輪に間に合わせるのなら、今からでも再コンペは可能です。応募期間を半年設け、決定は16年。さらに実際の設計に約1年かけ、そののち建設しても、20年7月の開会式には十分間に合います」(同)

 また、前出の槇氏もあらためて指摘する。

「私たちの案を押し付けようとしたわけではなく、JSC自ら“別のオプション”を持つ時期にもう来ている、と言いたかったのです。屋根を取り除いて、計2万トンにもなるキールアーチをやめれば、みんなが喜ぶのではないですか。ザハの案がなぜダメなのかは、それこそ安藤さんに聞いてくださいよ」

 今に至るまで口を閉ざしたまま――。その安藤氏を、大阪の自宅近くでお見かけした。さっそく尋ねると、

「いや、ちょっと、私わからない。またね」

 そう歩みを早めるので、問題点を並べ立てると、

「いいから、来んといてくれや。はい、さいなら……。ええ加減にせえや! もう帰れよ!」

 あるいはコンペでも、こうした押しの強さを発揮したのだろうか。

週刊新潮 2015年6月18日号掲載

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