パワフルだった日本の老人?!/『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』

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 昔話の主人公には老人が多い。

 言われてみれば確かにそうで、昔話というと、たいていの人が「昔むかし、あるところに」と話し始めることだろう。

 著者は、老人が主人公もしくは登場する昔話が多いことを実際に数字で示した上で、その謎に迫っていく。子どものころから古典を読みふけっていたという人だけに、日本全国に伝わる昔話だけでなく、昔話とは切っても切れない影響関係にある古典文学も参照しながら、そこに描かれている老人の知られざる姿を紹介していく。

『本当はひどかった昔の日本』の著者だから、ほのぼのした方向には行かないだろうと最初から予想がついたが、肉体的に衰えた老人を取り巻く環境は、前近代社会の現実を反映して想像した以上につらく厳しい。

「舌切り雀」の原話となった「宇治拾遺物語」の「雀報恩事(すずめほうおんのこと)」では、主人公の老女は二人とも家族から邪慳にされている。腰の折れた雀を助けた隣のお婆さんが大金持ちになり、家族から「お隣さんはあんななのに」と嫌味を言われ、しかたなく元気な雀の腰を折ってひどい目に遭う。これで、「悪いお婆さん」呼ばわりでは立つ瀬がない。

 盲目の老婆が体についたしらみをかじっているのを、餅米を盗んで食べている、と嫁に告げ口されて息子に山に捨てられる「姥捨て」の話など、老人虐待そのものだろう。
「姥捨て」は公的な記録に残らず、習俗としては「なかった」というのが定説だそうだが、日本中に似たような話が伝えられていることや、文化人類学者による他の未開社会の調査などを踏まえ、「本当のことが語られている可能性もある」と著者はみる。

 ほかにも、介護目当ての婚活や、「貧困ビジネス」ともいうべき捨て子殺しなどもあって、人間の考えることはいつの世も変わらない。感情をコントロールできなくなったり、わが子がわからなくなったりする昔話の「鬼婆」は、今でいう認知症が進んだ姿を「鬼」と表現しているのではないか、と指摘もする。

 昔話の老人は、物語の場面展開を担い、主人公の窮地を救うことも少なくない。「弱者」ゆえに逆転の鮮やかさが際立つという、これは構造上の要請によるものだろう。語り手が老人であることも多いし、年を重ねることにより極端化したキャラクターが、人間の善悪、二面性の真理を語るにふさわしい、という特徴も主役になる理由として挙げられる。

 どんな人にとっても、老いは未知の領域だ。この本を読めば、超高齢化社会のいま、たくましく生き抜く老人を主役にした新しい物語が書かれない理由はないと思えてくる。

[評者]佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

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