いきなり「23資産」登録の陰の立役者「加藤六月」元農水相長女インタビュー 「世界遺産」10年の根回しと韓国の破壊工作
■文化庁と対立
世界遺産登録のため本格的に動き出したのは、05年7月の「九州近代化産業遺産シンポジウム」からである。だが、ここから苦難の連続だった。通常、世界遺産の候補は、文化庁の文化審議会が決める。
「例えば、06年11月には山口県萩市や福岡県北九州市などが『九州近代化産業遺産』を候補として文化庁へ申請を出した。萩市は文化遺産として城下町の登録も目指していた。ところが、当時、私が産業遺産として登録を考えていたのは反射炉だけ。そのため萩市が途中で降りると言い出した際は、かなり焦った。面識もなかった萩市長にアポなしで面会し、何とか説得しました」(同)
康子さんが、今回選ばれた官営八幡製鉄所(現・新日鐵住金)を世界遺産にしたい、と頼みに行くと、
「今井敬・新日鐵住金名誉会長から『うちが遺産になんかなったらお終いだろ』と怒られて。でも、まあ、私は怒られるのには慣れていますから、何度も面会して『鉄は国家。今井さんの人生そのものじゃないですか』とお願いしました」
海外から有力な専門家を呼び、国やユネスコに提出する2000頁に及ぶ英文の推薦書も作成。しかし、彼女にとって、最後まで厄介だったのは文化庁だったという。
「とにかく、文化庁は『動いているものは、絶対に(世界遺産として)認められない』と言っていた。でも、海外には鉄道とか、動いている世界遺産はたくさんあります。それはおかしいということで、民主党政権下で規制緩和の一環として、文化庁の文化審議会とは別に内閣官房に有識者会議を設けてもらった」(同)
13年8月、文化審議会は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を世界遺産への正式推薦候補として決定。一方、内閣官房の有識者会議では「明治日本の産業革命遺産」が正式推薦候補となった。そこで、菅義偉官房長官の最終決裁で、「産業遺産」が、政府の推薦を得たのである。
「無論、私は選んでもらうよう働きかけはした。しかし、父から『お前に挨拶する奴は誰もいない。俺の肩書に挨拶しているだけ』と言われてきたので、霞が関の役人や政治家と付き合うのは本来好きじゃない。その点では、私の生き方は勝信さんとは真逆。彼に何かを頼んだことは一度もないですし、菅さんともみんなと一緒に1回会っただけ」(同)
が、その一方で、
「私は勝信さんよりも、安倍さんの方が話し易い。幼馴染みですから。産業遺産の話は、(小泉内閣の)官房長官時代(05年10月~06年9月)から耳にタコができるくらい聞いてもらっています」(同)
[2/3ページ]