カジノ利権を狙う「横浜のドン」の影が見え隠れ 総理の椅子が欲しくなった「菅官房長官」(1)

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 昨年夏前、東京・永田町からほど近いホテル内の日本料理屋で数人の政界関係者による会合が催されていた。座の主役は、2012年12月以来、安倍内閣において官房長官の重責を担い続ける菅義偉氏だ。

 酒を飲まない菅氏の前にはウーロン茶の入ったグラスが置かれている。その場にいた政界関係者の1人によれば、会合の途中、雑談の流れの中で「統合型リゾート整備推進法案(カジノ法案)」の話になった。

「やっぱり、候補地はお台場が有力なんですかね?」

 政界関係者の問いに、菅氏は顔色を変えずに応じた。

「お台場はダメだよ。何しろ土地が狭すぎる」

 ではどこなのか。沖縄か、大阪か――。そんな場の雰囲気を察したように菅氏はこう付け加えた。

「横浜ならできるんだよ」

 昨年夏前の時点において、横浜を候補地としてあげる声がないわけではなかった。しかし、それはごく一部で囁かれているに過ぎず、あくまでダークホースの扱い。そんな中で現職の官房長官の口から、自らの地盤でもある「横浜」の二文字が語られたわけだが、それを聞いた政界関係者は、その後、“ダークホース”が一気に馬群から抜け出す様を目撃することになるのだ。

■カジノ利権を狙う蠢き

〈京急のカジノ構想、雇用創出は最大1万人に〉

 日経新聞がそんな見出しの記事を掲載したのは昨年8月16日のことである。
〈京浜急行電鉄は15日、カジノやホテルなどで構成する統合型リゾート(IR)を整備する構想を正式発表した。横浜市の山下埠頭を最有力の候補地と考えているもようで、実現すれば数千~1万人単位の雇用が生まれそうだという〉

 カジノの誘致が成れば、雇用だけではなく、その経済効果も計り知れないが、

「横浜との関わりが深い暴力団“稲川会”も、早い段階で“山下埠頭がカジノ誘致有力候補”との情報を掴んで動き始めていた。具体的には、値上がりが期待できる周辺の土地を物色するわけです」(暴力団関係者)

 いずれにせよ、京急がカジノ構想を発表して以降、今年初めまでの間に、横浜の山下埠頭は一気に有力候補地に躍り出た。ちなみに、菅氏が代表を務める「自民党神奈川県第二選挙区支部」や菅氏の関連団体などに対して、1998年以降、京急電鉄元会長の小谷昌氏が計900万円を寄付している。

■カジノ誘致を狙う「横浜のドン」

 カジノ誘致を見据えた横浜市の動きも急だ。横浜市長の附属機関として「横浜市山下ふ頭開発基本計画検討委員会」を設置し、今年3月までに3度、委員会を開いている。そこでの発言内容はなかなかに生々しいもので、昨年9月に行われた第1回の委員会では、ある委員がこう口にしている。

〈やはりハイローラー、1億円以上使うような、これが来なければダメですね〉(会議録より)

 発言の主は、港湾荷役業「藤木企業」社長の藤木幸太氏。氏の父親、同社会長で横浜港運協会会長の藤木幸夫氏(84)は、横浜エフエム放送の社長など地元企業の役員も多数兼務する「横浜のドン」だ。

 その昔、荒くれ者の港湾人夫を束ねる港湾荷役業はヤクザや愚連隊と切っても切れない関係にあった。藤木幸夫氏は自著『ミナトのせがれ』の中で山口組三代目田岡一雄組長のことを“田岡のおじさん”と呼び、

〈田岡のおじさんが帰って行くと、外で待ち構えていた神奈川県警の刑事がすぐに親父(藤木企業創業者の藤木幸太郎氏)のところへ来て、「今、田岡が来て何を話したんだ」と聞く〉

 といった記述もある。その藤木幸夫氏と菅氏の間には深い関係があった。

■菅氏の選挙を支えた“藤木軍団”

 86年に菅氏は横浜を地盤とする小此木彦三郎代議士の秘書を辞め、翌年、横浜市議選に出馬するのだが、

「当時、自民党横浜市連幹事長が“出るなら神奈川区から出ろ”と言うのを菅さんは拒否し、“西区から出る”と強硬に主張した」

 と、自民党横浜市連関係者は話す。

「西区からは小此木さんの恩人である長老市議が出る予定になっていたから、市連幹事長は“恩を知らないのか”と怒ったが、菅さんは聞く耳を持たなかった。後でわかったのだが、出馬にあたり菅さんは、小此木さんの有力支援企業だった相鉄の当時の副社長を後援会に引っ張ってきていた」

 菅氏をバックアップしたのは相鉄だけではない。先述した藤木企業からも強力な援軍が派遣されたのだ。

「藤木企業の藤木幸夫会長は金ではなく、人を出す」

 そう語るのは、古参の藤木企業関係者である。

「菅さんのところには、Aさんという選挙参謀が藤木企業から派遣された。そのAさんが、普段は藤木企業で港湾荷役をやっている従業員やアルバイトに指示を出して、選挙の3カ月前からほぼ毎日、戸別訪問や電話がけなどを行う。多い日には数十人が駆り出されることもあった」

■“育ての親”が語るドンとの関係

 この点、菅氏に聞くと、

「ご指摘の会社から社員派遣などご質問のような選挙支援を受けたことは一切ありません」(事務所)

 と否定するのだが、菅氏の“育ての親”である元自民党神奈川県連会長で元神奈川県議の梅沢健治氏(86)はこう語るのだ。

「藤木幸夫さんは、“あいつ(菅氏)を勝たせる”と言って相当応援していた。藤木さんはいろんな会社をもっていて、その下に大勢の従業員がいる。そんな彼らは“藤木軍団”と呼ばれていて、選挙の半年前くらいから動いてくれる。菅の最初の選挙の時はAさんが入っていたはず。ただ、藤木軍団は選挙事務所には来ず、独自に動く。それを選挙事務所は把握していないし、報告も受けない」

 市議に当選した後も菅氏と藤木氏の関係は続いた。

「ある時、藤木さんに会食に誘われた。無所属だった私を自民党に入れようとしたようで、会食の席で藤木さんから“信頼できるヤツ”として菅さんを紹介された」(横浜市議)

「国会議員になってからも、菅さんは藤木さんに頭が上がらないようだった。携帯に電話がかかってくると、“会長!”と言っていた」(永田町関係者)

 次回「総理の椅子が欲しくなった「菅官房長官」(2)」では国会議員になってからの菅氏が重ねてきた「裏切りの歴史」をみてゆく。

「特集 総理の椅子が欲しくなった『菅官房長官』権力の階段」より

週刊新潮 2015年5月7・14日ゴールデンウイーク特大号掲載

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