徴兵制から最も遠い「自衛隊」の真実【前編】 オキナワの海を守る「P-3C」搭乗記――杉山隆男(作家)

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■任務の話は「秘」

 緊迫の度を深める国境の海の「防人(さきもり)」として、連日監視フライトなどの実任務や訓練に追われる沖縄のP-3C部隊を今回取材して、意外に感じたのは、この海の緊迫をつくり出している、他でもない「中国」という国名が、隊員の口からほとんど聞かれなかったことである。

 東西冷戦が終わり、ソ連が消滅して、世界が民族や宗教の対立という新たな混沌の中へ入っていった九〇年代半ば、私は、「兵士」シリーズの取材で北海道の千歳にある航空自衛隊のF15戦闘機部隊を訪ね、空中戦訓練をするF15に体験搭乗する一方、パイロットたちにインタビューを重ねた。彼らは、日本の領空に近づいてくる国籍不明機の追尾のため、スクランブル、緊急発進で飛び立ったさい、上空で出会った、赤い星のついた戦闘機MiGや大型の偵察機バジャーの話をしてくれたが、そのやりとりの中で「ロシア」という国名はあたり前のようにパイロットの口をついて出ていた。

 そんなF15のパイロットたちに上空で稽古をつける師範代の集まりのような部隊が、宮崎県新田原(にゅうたばる)基地の飛行教導隊だが、この部隊のオペレーションルームに冗談のように掲げられていたのは、鎌とハンマーをあしらった旧ソ連国旗の赤旗だった。当時の日本にとっていちばんの脅威であり、自衛隊が「仮想敵」として念頭においていた旧ソ連やロシアは、取材者である私からも容易に眼の届くところに顔をのぞかせていた。

 そしてイラク戦争が起こった二〇〇三年、私は鹿児島県鹿屋と青森県八戸のP-3C部隊を取材している。国会やメディアの場で自衛隊のイラク派遣が本格的に論議されていた中、隊員たちは日本海や東シナ海で日々臨んでいる監視フライトについて話してくれたが、そこでは遭遇する艦艇としてロシア、中国といった具体的な国名はごく自然にあげられていた。

 幹部のひとりは、海上自衛隊として初の警備行動となった、日本海での不審船追跡の話を口にし、全速力で逃げる不審船の行く手めがけ、警告のための爆弾を投下するボタンを自ら押したときの、生々しいエピソードを聞かせてくれた。

 それから十二年をへての那覇である。隊員たちは、任務の具体的な話は「秘」にかかわるから、と口を閉ざし、かつて八戸では立ち入ることができた飛行隊のオペレーションルームヘの入室は許されなかった。そして中国に限らず、隊員が国名を特定するような発言を自分からする場面はほとんどない。

 私には、彼らが口にしないそのことに、隊員たちが日々その中に身をおき、向き合っている緊迫というものの切実さが、何よりあらわれているように思えてならなかった。

 那覇基地の一本しかない滑走路は民間の航空会社も共同使用していて、管理しているのは国土交通省である。自衛隊の格納庫やその前に広がるエプロン、駐機場は自衛隊の管理下だが、そこから先は自衛隊と民間エリアの那覇空港を隔てるフェンスはない。

 このため、P-3CやF15戦闘機が翼を休めているすぐ前を、JALやANAに混じって、五星紅旗を尾翼につけた中国の旅客機がゆっくり進んでいく。機内から望遠レンズを向ければ、格納庫の内部まで撮影できてしまう。手狭な上に、一挙手一投足を「招かれざる客」の視線にさらされているような、決して恵まれているとは言えない環境にある。

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