妹と元側近から「あの手記はデタラメ」と非難される麻原彰晃「三女」

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 今から20年前、メディアを賑わせた「オウム真理教」関連報道の最中、時折り姿を見せるふてぶてしい態度の少女がいたのをご記憶だろうか。教祖・麻原彰晃(60)の三女でアーチャリーと呼ばれた松本麗華(りか)氏(32)である。彼女は今年3月、半生を綴った手記『止まった時計』(講談社)を上梓した。が、周囲からは「デタラメ」と批判の声が相次いでいる。

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〈わたしは、この本をノンフィクションとして書きました〉

 と、前置きした上で、生い立ちから教団での生活、一連の犯罪が明るみに出た当時の幹部らの様子などが詳らかにされている。続いて教団との“決別”の経緯にも触れられているが、彼女をよく知る家族や元教団幹部たちは猛反発である。

「被害者に対する謝罪の言葉も気遣いも一切なく、私は初めて姉を道徳的に恥ずかしいと思いました」と言うのは四女(25)だ。

「姉が出版した動機は二つあり、一つは父の死刑執行を遅らせるためです。だからこそ刑の確定を後押しした「正常」との精神鑑定の結果について、〈物を握ったり食べたりすることができることをもって、父に訴訟能力あり、とする内容でした。(中略)その理屈で言えば、赤ちゃんにも訴訟能力がある〉と疑義を表明しているのです。でも、2008年6月に私が父と接見した時は意思の疎通はできました。あの鑑定結果は間違っていないと思います」

 二つ目には、公安調査庁が昨年12月に麗華氏を“現在も役員として教団の重要な意思決定に関わっている”と認めたことを挙げている。

■「わたしだけは父の味方」

「全体を通して、自分はそんな人間ではないと訴えている印象です。しかし、姉は94年に法皇官房という中枢組織の長に就き、僅か11歳にして父に次ぐ指導的立場にありました。その後も、自分は積極的には関わっていないとした『観念崩壊セミナー』で主導的立場を果たしていたのです」

「観念崩壊セミナー」とは、96年8月から10月末まで約2カ月問続けられた凄惨な修行のことだ。このセミナーの参加者で一時期、彼女を側近として支えた宗形真紀子氏(46)が当時を振り返る。

「大量の食事を強制し、嘔吐したらそれを食べさせる。或いは極限まで断食をさせるといった修行でした。胃に穴があいた信者もいたほどです。様々な非人間的修行法が、三女の監修で彼女がいいと言うまで続きました」

 だが、麗華氏は、

〈この記憶に触りたくない〉

 と逃げるように記すのみ。一方、生活資金についても、

〈わたしはアレフからの援助を受けていません〉

 としているが、

「生活費や学費、様々な訴訟に関する費用は元信者からのお布施に頼っていました。関係者なら誰でも知っている事実ですよ」(四女)

 どこまでも、ノンフィクションとは程遠いと断じるのだ。四女が改めて言う。

「〈世界中が敵になっても、わたしだけは父の味方でいたい〉との一文があります。しかし、人を愛することは、その人を美化することとは違うと思うんです。父を本当に愛しているのなら、一緒に贖罪をするべきでしょう」

 麗華氏はこれらの声をどう聞くのか――。

「ワイド特集 魔女と淑女と悪女の冒険」より

週刊新潮 2015年5月7・14日ゴールデンウイーク特大号掲載

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