移住者が殺到で出生数も急上昇! 「五島列島」自給自足できる小さな島――白石新(ノンフィクション・ライター)

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 楽園などありはしない。だからIターンやUターンを試みて挫折する人が絶えないのだが、五島列島の小値賀島(おぢかじま)にかぎっては、移住希望者が絶えず、その定着率も50%を超えるという。現地でその理由を探ると、自給自足が可能なほどに豊かな“資源”があった。

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「ブリが降ってきた」

 小値賀島では、こんな言葉を耳にすることがある。

 ブリが旬をむかえた今年2月。島民からの電話をとった西山美保さんの声がはずんでいた。彼女は神奈川県平塚市からの移住者だ。

「魚が獲れ過ぎた時には連絡がきて、おすそわけしてもらえるんです。島に元々住んでいた人は、“ブリは買うもんじゃないから”と真顔で言うんですよ。私も手に入れるのに、あんまりお金を出していない」

 長崎県佐世保市の西に位置する五島列島。その北部にある小値賀島が、ひそかに注目を集めている。

 この小さな島を中心に周囲17の島々からなる北松浦郡小値賀町は、長崎県で最も小さな自治体である。島へ渡る船便は、佐世保港から1日に3便、博多港から1便。東京から訪れるには、飛行機と鉄道、船を乗り継いで、どんなに早くても半日かかる。

 そして数多の離島がそうであるように、小値賀島もまた、過疎化と産業の衰退に悩まされてきた。

「計算上、そう遠くない将来、無人島になる可能性があったといわれてきた」

 そう語るのは、大阪から移り住んだ高砂樹史さんだが、ここにきてにわかに観光客が増え、移住者も定着しはじめている。Iターンでやってきた人の定着率は50%を超え、現在、島の人口の1割を超える約300人がUターンもしくはIターンによる移住者。

「年収は前職の半分くらいに減ったけど、暮らしはずっと豊かになった」

 と、そのひとりは語る。なかでも特筆すべきは、出生数の増加だろう。この数字は、住人の地域に対する希望の度合いを如実に反映するとされる。今や出生数がゼロに近い離島も珍しくないが、小値賀島では毎年、2桁を維持しているのである。人口減と財政難で悲鳴をあげる地方自治体が多い中、なぜこの島は息を吹き返しつつあるのだろうか。

 その答えを導く前に、檀一雄の小説『火宅の人』にも登場する島の歴史や風土に触れておきたい。

 海底火山の爆発によって生まれたという小値賀島の面積は12・22平方キロ。自動車で30分も走れば1周できてしまう。比較的平地が多く、弥生時代の墳墓群なども発見されており、古事記に登場する「両児島(ふたごのしま)」は、かつて浅い瀬によって2つに分断されていたこの島のことだとする説もある。

 また、五島列島は「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、ユネスコの世界文化遺産の暫定リストに入っているように、古くからカトリック信徒が多いことで知られる。だが、小値賀島だけは、昔から仏教徒が多数派だった。

 島の最大の産業は漁業である。ブリ、イサキ、ヒラメ、カレイなど美味しい魚の宝庫で、前出の西山さんの夫で、やはり神奈川県出身の今田光弘さんは、

「この島の人はカワハギなんて刺身にしません。薄造りにするのは面倒だからと、味噌汁にドカンと入れてしまう。贅沢な出汁です」

 と、島の海産物の豊かさについて語る。とくにアワビ漁は、かつて年間漁獲高日本一を誇り、全国から集まる漁師たちのために、島の中心部に花街が存在したほどである。

 そんな島の人口は現在、約2700人。最盛期の1950年には1万人を超えていたが、以降、減りつづけている。日本が急激に工業化して漁業や農業が衰退すると、島からの人口流出が止まらなくなった。小値賀町を構成する島のひとつ、野崎島にいたっては、600人を超える島民がすべて島を離れ、昭和40年代には無人島になってしまった。

 だが、小値賀島に住む人たちは、野崎島の惨状にわが島の未来を重ねながらも、前向きだったようだ。

「もともと小値賀に住んでいる人も、新たな住人も、この島を永らえさせたいという意識が強いんです」

 と、大阪から夫婦で移住してきた小高秀克さんは言う。実際、島内の酒場などでは、島の行く末について熱く語る場面にしばしば出くわすが、そこに諦観が感じられないのだ。前出の今田さんは、こう口にした。

「島は、誰もが自給自足できる環境にあると思う。それは島民がもつ共通した感覚だと思います」

 食料自給率がカロリーベースで40%に満たない日本で、自給自足の可能性が語られる。小値賀島が息を吹き返す理由を解くヒントが、そこにありそうだ。

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